四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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6日から9日はローマ法王のマダガスカルご訪問につき、アンタナナリボ市内に多くの人が集まることから、普段でも渋滞する道路は大渋滞、その他も混乱が予想されている。多くの企業もスタッフを自宅待機させたり臨時休業をとるところもあるぐらいのため、私たちは郊外へと身を移す。
行先はムルンダバ。有名なバオバブ街道がある場所である。そしてこの街の近くには私が客員研究員をつとめさせていただいている進化生物学研究所の湯浅先生がバオバブの成長スピードを計測するため定点観測をしているバオバブがある。
昨夜も遅くなったので仮眠のような睡眠をとり、パッキングを終えて渋滞がないであろう早朝4時にホテルを出発。ムルンダバへは飛行機で移動する人が多いが、今回は諸事情があり車での移動である。まだ暗い道を車でひた走り、片道8~9時間 700kmの道のりとなる。(バスでは10時間以上)
朝が急に冷え込んだせいか深いモヤで視界が極めて悪い。暗闇の中から飛び出す人に何度も驚かされる。
途中視界の悪さからであろう車線から外れたトラックを何台か見かけた。もしこのトラックが道をふさいでいれば、一本道のため、ずっと通行止めで今回はムルンダバには行けなかったであろう。また引き返してもホテルが取れなかったかもしれない。運が良いと言えば事故にあった人には失礼であるが、何とか通行ができたので山道をひた走る。
途中、モヤの中から飛び出すように見えてくる牛車に驚かされる。さらに厳しい山道と疲れのせいか、車酔いに悩まされる。
そのような苦しい中でも、窓から見える美しい棚田が酔いを癒してくれる。
そして、行程を約3分の1過ぎたところにあるアンチラベに到着。ここでパンを買い朝食。シンプルなパンがとても美味しい。絶品であった!
そしてここから先約500kmの道は比較的緩やかである。田園風景が美しい。
前を行くタクシーブルースを追い抜きながらひたすら走り続ける。運転は安全と知りながらもやはり何度かヒヤッとする場面がありスリリングである。
また途中では、砂金を採る光景を見ることができる。いろんな村から砂金を採るために人がやってきて、新しい村ができてきている。
そして行程の半分を過ぎたぐらいでランチタイム。先ほど買ったパンとソーセージをパッと食べる。普段あまりパンを食べないためなのか、このシンプルさがとても美味しく感じた。
そしてすぐに出発。ひたすら走る。ただ走る。
途中マダガスカルが本家本元であるビスマルキアの群生にも出会えた。どんな光景が目に飛び込んでくるかわからないので、おちおち眠ることもできない。
そして何とか明るい間にムルンダバへ到着することができた。そしてバオバブ街道周辺の環境をチェックした。
そうこうしているうちに陽は落ち始めて、しばしバオバブ街道で太陽が沈むのを複雑な思いで眺めていた。
そのうち完全に暗くなったのでホテルに向かった。今日の宿はBAOBAB CAFÉ
日本のような便利さや清潔さとは違うが、趣があるホテル。日本のツアーも訪れるホテル。虫がでることやシャワーが水しかでないこともあるのは致し方ない。
ここで簡単に食事をとる。いかのニンニク炒めと、良く冷えたガスウォーターが、お酒の飲めない私にはごちそうである。そしてお腹は満たされたので、長時間のドライブによってきしんだ身体で部屋に入り、お湯の出ない冷たいシャワーのショック療法で、いったん元気を取り戻す。そして残った体力をギリギリまでデスクワークにつぎ込み、この日は日付が変わるころ倒れるように眠った。
朝は4時起床。再びバオバブ街道へ行く。ここで日の出のバオバブを少し眺めて、アンチラベへと今まで来た道を折り返した。
途中、眠気覚ましのコーヒーを身体に注ぎ込み気合を入れて、定点観測のバオバブをチェックし、周囲のバオバブ(グランディディエリ、フニィ、ザー)を眺めながら、来た時の道と同じ道をひたすら走った。
そして途中何とか木陰を見つけて、ランチ。今日はサンドと途中で買ったバナナ。シンプルで美味しいが、パンは少し飽きてきていたのでバナナがとても美味しく感じた(笑)
途中 旅人の木が応援してくれているように感じながらひたすら走る。そして砂金を掘る光景に出会う。当たり前である。同じ道を通っているので・・・・
そして予定通り夕刻に、昨日朝食をとった街 アンチラベに到着
ここで日本からこの地に赴いている協力隊員とお話させていただく機会を得て、彼らの素晴らしく輝いた眼と前向きな姿勢に多く勇気づけられ、再会を約束して別れ、その後はアンチラベの静かな夜を過ごした。
4日早朝、目覚ましに関係なく4時ごろ浅い眠りから目覚める。
しばらく出発の準備をしていると、窓の外からきれいな朝焼けが見えてきた。今更ながら何となく外国に来た~~という感じになる。その後簡単な食事をいただきホテルを出発。
今日は南のフォール・ドーファンへと向かう。
あらかじめ空港近くのホテルを予約していたので、渋滞に関係なくスムーズに空港へ到着。
搭乗口付近でしばらく待ち、無事飛行機が来てくれていたのを確認でき、まずは少しホッとする。
何故ホッとするかというと、日本とかでは考えられないほど、欠航や遅延、ダブルブッキングなどが多いからである。以前は予約をしていても乗れるのも早い者勝ちみたいなこともあり、国内線でも2時間前にいっていち早くチェックインを済ませ、ボーディングパスを手にしなければ安心できないぐらいであった。またボーディングパスを持ちながらも、飛行機の到着を待っていると天候不良とかでもなく急遽欠航ということもあったので、余裕がなければ、飛行機は不安定である。
かといって車で行くには片道で3日間、雨期なら5日間ぐらいかかるから、よほど滞在期間に余裕がなければ無理なため、私たちには向いていない。また途中 山賊などに出逢うこともあり、危険も伴うので、選択肢は飛行機になってしまう。
少し話は逸れたが、運営会社が変わった国内線に乗り、プロペラ機のため時間がかかり約2時間でフォール・ドーファンへと到着。
そこには「みどりのサバイブプロジェクト」でお世話になっているNGO サザンクロスのRivoさんが迎えに来てくれていて、早速、以前バオバブの植林と木彫り品を作っていただいた村 RANOMAINTY(ラナマインティー)へと向かった。
フォール・ドーファンを出発し、街中だけは道路が良い状態(日本と比較すると悪路)のため10数分はスムーズに進める。
そして鶏やフルーツを売っている村を通る。せっかくなので少し見学。
ここではライチはちみつをペットボトルに入れて売っていた。はちみつ好きの私なので、かなり興味津々であったが、ここは我慢して次へとすすむ。
途中、ジャックフルーツがなっているところや、エレファンティフォノの自生を見たりしながら進んでいく。そしてこの辺りからの道路は、かなり昔に整備されたきりで、今ではほぼ舗装が崩れてしまっているため、まるでモトクロスの競技場かとも思えるぐらいの悪路である。そのような悪路をロデオ状態で進み、何度も車の窓ガラスに頭をぶつけながらフォール・ドーファンから約1時間30分でナショナルパーク付近まで到着。
ここでランチタイム。サザンクロスジャパンのリヴさんの奥さんが作ってくれたサンドウィッチ。中身は揚げ春巻き。日本ではあまり考えられないサンドだが美味しい!!!
そして残念ながら管理が行き届いていないパークを少し見学したのち、再び目的地をめざす。
途中アガべの花が、多く咲いているところなどを通る。
またオペルクリカリア デカリーの群生を観ることもできる。このオペルクリカリアの皮は現地では育毛の効能があると言われていて、昨年ブラマヨのTVに出演させていただいた時にもご紹介させていただいた。ブラマヨの小杉さんが興味を示してくれていた(笑)
そして悪路を再び走り、フォール・ドーファン出発から約3時間で目的地であるラナマインティー村へ到着。
そこではすでに村長や学校の先生や多くの村人が私たちの到着を待ってくれていた。彼らは私のことを「木彫りを買ってくれる日本の人」という風に覚えてくれていて再訪をよろこんでくれていた。
そして村人と一緒に、バオバブの植林へと向かった。その場所の名前は「子どもの森」
何故「子どもの森」というかというと、植林をする意味を子どもたちに伝えるために一緒に活動する場所だからとのことである。近藤先生や湯浅先生、サザンクロスの活動には頭が下がる思いである。
植林現場に着くと、まずは以前に植林されたバオバブの成長を観るため計測を行った。続いて村人みんなで植林を行った。通訳兼学生インターンとして参加させた娘も積極的に参加をしていた。
村でつくられている木彫りを拝見し、次回の打ち合わせやオーダーをさせていただいた。
その後、湯浅先生からの届け物を村長と学校の先生に渡して、出発の時間となったので名残惜しいが再訪を約束して、この村を後にした。
そして隣村のANTANIVINANKYに移動し、ここでも植林をさせていただくことになった。
私の到着を待っていてくれて、どこに植えようか考えていると、この場所の中心にある岩に囲まれたところのシンボルの木が、以前のサイクロンで倒れてしまったので、是非その場所に植えて欲しいとリクエストがあり、僭越ながらその場所に植えさせていただくことにした。
この村でも、バオバブやコミフォラの木、合わせて10本ご用意いただき、皆さんと一緒にシンボリックな1本を植えさせていただいた。
そしてこの村でも時間が来てしまったので、再訪を約束して帰路についた。
来るときと同じく2時間30分くらい悪路に身をゆだねながら、黄金に輝くユーフォルビアに魅了されたり、山から村へ炭を運ぶ人たちや、牛を連れている人たちとすれ違ったりしてフォール・ドーファンの街へと戻った。
そしてNGOサザンクロスジャパンのRivoさんの家で、奥さんが用意してくださった歓迎のディナーをいただいた。その料理はどれもが本当においしい。
さらに大好物の生カキも用意してくださっていた。でもしかし以前の私のブログをお読みいただいている方ならわかるかもしれないが、さすがに中々手を伸ばせなかった・・・
それでも、Rivoさんと奥さん、一昨年 一緒にサザンクロスの事務所で植林をしてくれたNorioくんとNorikoさん、そして私たちの7人で、楽しく懐かしく食事をさせていただくことができた。
そしてワイワイ話をしていると、急に強い雨が降ってきた。乾季なので中々雨が降らないハズであるにも関わらず断続的に降ってきて、恵みの雨、さすがレインマン又右衛門と喜んでいただけた。
そのような楽しい時間は過ぎるのが早く、子どもたちは明日の学校、私たちは朝から近くの視察などがあるため宴はお開きとし、別れを惜しみながらホテルへと戻ることにした。そして眠気の限界までデスクワークを行い、深夜 蚊帳の中で眠ることにした。
朝、寝苦しさと悪夢で目覚める。夢でうなされるのは久しぶりである。蚊帳が苦しかったのかもしれない。確かに朝起きたら地引網にかかったマンボウのようになっていた・・・・・。
その後ホテルをチェックアウト。2年前にNorioくんと「みどりのサンタ」と一緒に植えたバオバブの成長を確認後、皆さんとお別れをして空港へと向かった。
その途中、昨日山から持ってきた炭を街で集めてトラックに積み込む人、その炭をさらに中継する人、自転車で届ける人、キャッサバを運ぶ人など、多くの人とすれ違いながら空港へと到着した。
飛行機は、はじめ30分の遅延と聞かされたのだが、結局は1時間30分ほど遅れて空港に到着。
そして、乗り込むときにボーディングパスを出すと座席番号を赤ペンで消され、自由席でよろしくと伝えられ、え~~っと思いながら乗り込むことに。さらに、座っていると経由地の空港から新たな人が乗ってきて、私の席ですよ、と言われる始末。それでも欠航にならなかっただけ有難い、と、ほのぼのとした気持ちにすらなったのは、さすがマダガスカルの国内線、という感じがする。
日本の航空会社がいかに素晴らしいかも、あらためて感じることができた。
遅れはしたものの、何とかチュレアール空港経由で無事アンタナナリポまで戻れた。朝食を取る時間はなかったのだが、昼食も簡単なもので済ませ、夕方からは新たなご縁による大事なミーティングを行い、とても重要な情報を教えていただくことができました。
その後、スーパーで今日の夕飯と、明日移動しながら車で食べる朝食と昼食を買い込んで、車に積み、ホテルの部屋に戻ってブログを書いています。
明日は3時起床、4時前には出発のため、早く準備をして眠ります。今日はうなされませんように・・・・・ おやすみなさい。
3日の昼過ぎにアンタナナリボ(通称 タナ)に到着。
空港は1年前より少しきれいになっており、そこには今回もアテンド役を担ってくれるセルジュ氏が待っていてくれた。
そして久しぶりの再会の挨拶をして、早速 まずはお世話になっているJICA マダガスカル事務所を訪問させていただいた。
そこではJICA マダガスカル事務所 梅本所長はじめ皆様とご挨拶をさせていただき、今回のマダガスカル訪問の理由と、私たちバラエングループの取り組み、今後の進め方についてディスカッションをさせていただいた。
やはり現地で活動されている方々の声を聞かなければわからないことも多くあり、短いながらも意義深いミーティングとなり、学ばせていただくことができました。
このことを無駄にしないように、今後も積極的につとめていきたいと思っています。
その後は、明日朝が早く、準備も必要なため、ホテルに向かったのだが、明後日のローマ法王の訪問にあたり、その警備や各地から集まってくる人々のおかげで、通常よりひどい渋滞となっていた。
それでも何とかホテルに到着し、その後食事もとることができたので、今日は早めに準備を済ませて、約2日ぶりに眠らせていただきます。おやすみなさい。
TICAD7(第7回アフリカ開発会議)を終え、今度は私がマダガスカルへ。その模様を何度かに分けてブログアップさせていただきます。ただマダガスカルは通信状況が少し不安定なのと、前半は田舎に行っていますので、まとめての投稿になるかもしれませんがご了承をいただければです。よろしくお願いいたします。
さて2日深夜?早朝?に起床。暗い中、なまった身体を動かすために少し運動し、氏神様への参拝をしてから、事務所で準備を整え、その後リムジンバスに乗り込み、関西国際空港へと向かった。
お昼過ぎということもあり道はすいていて定刻到着。その後、お土産を買い込んで、バタバタと飛行機に乗り込み、関空を定刻に飛び立つことができた。
そして機内では、ダイエット中の又右衛門は、あらかじめ頼んでおいた低糖質の食事をいただいた。おかずは赤身のお肉で、通常メニューより少しお得感もあり小さな幸せを感じながら、あっという間に経由地である仁川空港へと到着した。
ここで次の飛行機まで約6時間待ち。ラウンジで食事をし、ひたすらパソコンで宿題を手掛けて、ボーディングタイムが近づいてきたので移動し、飛行機へと乗りこんだ。
そして深夜エチオピア航空で、アジスアベバ(エチオピア)をめざす。いつものように機内では眠れない私には結構拷問のような時間である。いつものごとく眠いような眠くないような苦しい時間を過ごしながら、ひたすらパソコンとにらめっこ。そして自分の中での無言の壮絶な戦いを繰り広げ約11時間30分後の3日の朝に、無事アジスアベバに到着をした。
この空港では乗り継ぎが約1時間しかないため、少し速足で空港内を進んだ。新しくなった?空港は、以前とは打って変わり、ありがちな近代的な空港のようになっていて、少しさびしさも感じるぐらいであった。
そして再び、飛行機に乗りこむ。離陸前には、お決まりの機内の殺虫剤散布。初めて経験するものは大概この行為に驚きを示す。私も初めての時はびっくりした。そして吸い込まないように口を押えたりしていたが、今ではもう慣れっこになり、その薬剤の香りもお気に入りにもなってきている。
機内ではCAさんが私の足にトマトジュースをこぼしてしまい、着替えの少ない私は、テンションが下がり気味。そのような中、飽き始めた4度目の機内食を食べながら、パソコン相手に眠れぬ苦しい時間を過ごして、さらに約6時間後、関空についてから約24時間後にやっとマダガスカル アンタナナリボへと到着することができた。
さ~~これからの約1週間。マダガスカルにての活動である。気合を入れて今回こそは落とし物をせずにしっかり頑張っていこう!
TICAD7 2日目。今日は朝から晴れていた。
開場前に要人を乗せた黒塗りの車が、続々と会議場へと入ってくるのを見ていると、この会議が持つ意義の重要さを強く感じる。
今日、本会議場では全体会合がすすめられている。休憩時間には各国の要人が私たちのブースの前を行き交う。日本からも安倍総理や麻生副総理、河野外務大臣が。私たちにお声掛けしてくださいながら、多くのSPたちと会場に入っていかれる。その度に緊張感が走る。
そのような中、時間の合間を縫ってJETRO主催の展示ブースを再度見に行ってきた。そして、あるブースでリンドウの切花が飾られているのを発見。ここでは昨年?から取り組みが始まったリンドウ生産について発表されていた。
このリンドウは以前から又右衛門との色んな取り組みにチャレンジしてくれている岩手県八幡平市のJA新いわて(安代りんどう)とアフリカ東部ルワンダとのプロジェクトによって作り出されたものである。実際に安代の生産者が生産指導するためにルワンダまで赴くという熱の入った、とても素敵な取り組みである。
確か7月だったと思うが、弊社に安代生産者の方々に来ていただいたとき、せっかくの機会だからTICADにて発表すべきと進言させていただいたことから発表に至った、かどうかはわからないが、花き業界のパートナーがこのように海外でも活躍しているのを拝見できるととても嬉しく感じる。今後どのような広がりをみせるか楽しみである。
そして再びブースに戻り、皆さんにお声掛けしていると、私たちの地元から選出の山田外務大臣政務官と、大串前経済産業大臣政務官がブースを訪れてくださり、お話をさせていただくことができた。
その後、訪問者が途絶えたとき、マダガスカル大使館ブースでご一緒させていただいている昭和大学の土佐先生とお話をさせていただく時間を持つことができた。
土佐先生はマダガスカルで子供の口唇口蓋裂の治療を行うため、何度も渡航されているとのこと。
マダガスカルでも口唇口蓋裂が原因で、いじめなどに繋がることがあるようで、土佐先生に治療されたことで、学校に行くことができるようになったと喜んでいる子どもが多くいるとのこと。
そのため、時間の許される限り、マダガスカルに向かい治療をしているとのこと。土佐先生の取り組みには頭が下がる思いである。
しばらく同じブースでご一緒させていただき、互いの話をすることができ、分野は違えど一緒に取り組めるプロジェクトも今後は出てくるかもしれないと感じている。
そして、今日も無事1日の予定を終え、ホテルに向かう途中の大戸屋で一人ディナーをしてから、部屋に戻ってデスクワーク。日付も変わるころ自分へのご褒美に、好きだけど普段は我慢して食べていない「白くまアイス」を口にして、疲れを癒してから就寝した。
翌30日朝。外は強めの風が吹き、雨が降っている。会場まで向かう。途中かなり風にあおられたため、スーツは結構濡れてしまった。それでも気を取り直して最終日を迎えた。
最終日も同じように時は流れていく。そしていよいよ閉会式。会場では「横浜宣言2019」が採択された。
その後会場から安倍総理が出てこられ、私たちのブースに立ち寄って、とても丁寧に一人ずつの手を握り、ご苦労様とお声掛けしてくださった。その手には力強さがあったが、それよりも、とてもやさしい温かい手であったのが印象的であった。
そして午後もしばらくしてブース撤収の時間となり、皆さんとともに片づけをした後、私は帰路につかせていただいた。
今回初めて参加させていただいたTICAD(アフリカ開発会議)でも多くの人との出逢いがあった。それも普段の活動では中々巡り合えないような方々とご縁があった。
このような機会を与えていただいたラクトゥマララ特命全権大使や秘書官の半田様には本当に感謝である。ありがとうございました。
そしてこの機会にご縁をいただいた国内の方々やアフリカ各国の皆様とのつながりを
大切にして、私たちは今後も活動をしていきたいと思う。バラエングループは、今すぐのアフリカ進出は難しいかもしれないが、弊社独自の有機農業技術や製品、自然環境学習プログラムや「みどりによる持続可能なまちづくりデザイン」などは、今後のアフリカにとって必要になるときが来ると確信している。その時のためにも、準備をしながら今を一生懸命頑張っていきたいと思う。
最後にアフリカ諸国の皆様。遠くからお越しいただきありがとうございました。今度は私が皆様のところに行く番ですね。しばしお待ちくださいませ~~~~~。
いよいよ今日は、TICAD7の開催である。
開会式に伴い、和装の女性がずらりと並び、素敵な笑顔で本会場の前で各国の代表をお迎えしている。その光景は中々壮観である。
開会式にともない日本政府から安倍首相、麻生副総理、河野外務大臣が会場入りされた。そしてマダガスカル共和国 アンジ・ニリナ・ラジョリナ大統領もお越しになられ、私たちにお声掛けののち会場へと入っていかれました。
アンジ・ニリナ・ラジョリナ大統領は精気に満ち、とても素敵な気を纏われた方で、輝いていらっしゃり、さすがと感じさせられた。
要人が会場入りされた後に、お出迎えされた和装の方々を良く拝見すると、各国の象徴をモチーフに作られた着物で、それぞれの担当国が決められているとのことであった。
そこで外務省の方にお願いし、マダガスカルの担当の女性を紹介いただき一緒に写真を撮らせてもらった。
着物にはマダガスカルを代表する植物バオバブや、ワオ・レムール(ワオキツネザル)をはじめ多くの植物や昆虫が・・・・。
また帯締めもマダガスカルを象徴する色使いで作られており、その素晴らしさは感動ものである。他の国の着物も拝見させていただいたが、贔屓目かもしれないが、どこの国よりもマダガスカル担当の着物が素晴らしかった。きっとそれは他国に比べ、圧倒的に固有種が多いマダガスカルだからではと思う。できることならば同じ生地で私のジャケットも作らせていただきたいと思ったぐらいである。
開会式を終えて、とても忙しい中、駐日マダガスカル共和国 ラクトゥマララ特命全権大使閣下もブースに来られ、いつもの優しいまなざしで温かいお言葉をかけてくださった。
その後ブースへ来て下さった方々への対応をさせていただきながら、時間の合間を縫って同時開催のJETRO主催「日本 アフリカ ビジネスEXPO」会場を周らせていただいた。
そこには、アフリカ各国のブースと日本の企業ブースが並び、多くの来場者でにぎわっていた。そのような中、マダガスカル共和国ブースも多くの人でにぎわっていた。
日本の企業では、以前から大変お世話になっている先輩が経営され、アフリカでも多大な功績を残されているSARAYA社のブースをはじめ、様々な企業のブースや、農水省や自治体のブースなどを周らせていただき、それぞれの積極的なアフリカ展開に大きく刺激を受けることになった。
そうこうしている時に、以前から私たちの取り組みに共感していただき、実際に又右衛門プランツで素敵な空間を作ってくださっている佐藤様が、忙しい中にも関わらず陣中見舞いにお越しくださった。佐藤様とは今回はたった数分しかご一緒できませんでしたが、その短い間でも私にお気遣いいただく気持ちが十分に伝わってきて、少し疲れ気味の私には大きなパワーのチャージになりました。おかげで残りの期間も十分に乗り越えられそうです~~。佐藤様ありがとうございました。再会を楽しみにしています(^^)v
そしてこの日も素敵な出逢い、再会に恵まれた素敵な日となりました。あらためて皆さんに感謝です。
さ~~明日も楽しみだ~~~!!!
26日。いよいよTICAD7(第7回 アフリカ開発会議)が開催される。会場は横浜だが、一旦都内へと向かった。
TICAD7会場である横浜に入る前、夕方から都内で別件のプロジェクトに関する顔合わせミーティングがあった。どのようなメンバーでどのようなことを手掛けるかについてはまだまだオープンにできないが、実現すればかなりのインパクトを与えるプロジェクトになるのではと思っている。数年も先の話になるが、その時には皆さんに胸を張って言えるものを成し遂げたいと思っているので乞うご期待である。
そのようなワクワクする気持ちに包まれ、横浜に向かった。一人で食事を済ませ、ホテルに入ったときには、辺りはすっかり暗くなっていた。
部屋に入り、あらかじめ送っておいたスーツケースから荷物を取り出し、明日の準備を終え深夜就寝した。
27日朝、パートナーである福中氏と合流し、TICAD7のメイン会場である会議センターへと向かった。
ちなみにTICADとは,Tokyo International Conference on African Development(アフリカ開発会議)の略であり,アフリカの開発をテーマとした国際会議。1993年以降,日本政府が主導となって,国連,国連開発計画(UNDP),世界銀行及びアフリカ連合委員会(AUC)と共同で開催しているとのこと。そして今回は8月28日~30日にパシフィコ横浜で開催である。
今回、駐日マダガスカル共和国大使館 ラクトゥマララ特命全権大使がお声掛けくださり、マダガスカル共和国大使館ブースにて、以前より取り組んでいる「又右衛門 みどりのサバイブプロジェクト(木彫りプロジェクト)」の告知機会をいただけたので、協力企業の一社として参加させていただくことになった。
限りあるスペースを、進化生物学研究所を中心とする協力団体でシェアしながら、それぞれが自らの活動を来場者に直接伝えさせていただいた。
私たちのブースは、本会議が行われるメイン会場にある。多くの人が慌ただしく行き交う場所である。そして今日は、明日28日からの本会議に先立つ閣僚級事前会合が開催され、日本からは河野外務大臣をはじめとする多くの閣僚、海外からは大統領など要人の方々が目の前の会場で議論をされていたようである。
私にとって初めてのTICADは全てが興味深く、気が付いたらすっかり時間が経っていた。当日のプログラムは全て終了したので、私たちもブースを簡単にかたづけ、簡単に夕食を済ませて、それぞれが宿泊地へと向かうことにした。
さ~~明日からいよいよ開催!頑張っていこう。
新たな年度に入り、すぐにお盆商戦。何とか無事に終えて、ほとんど息つく間もなく、いろんなことが動き始めた。
社内においては、新たな目標を掲げ、組織を変え、社員みんなで取り組んでいく体制を整えた。そのような中、スタッフ全員とまではいかないかもだが、多くのスタッフが厳しい状況を打破するために、声をあげ、今一度起ち上がろうとしてくれている。本当にありがたく、そして頼もしく感じている。
また対外的には、今週も地元で新たなプロジェクトのお声掛けをいただいたり、素敵な来客があったり、今後に大きな期待を寄せることができる始まりがあった。また週末の都内での活動でも、新たなことにつながる縁があった。
その反面、長年お世話になった団体での、先代から続く活動を終えることになった。私にとっては、色んなことを振り返る契機となり、色々考えさせられる週となった。
何から何まで全てを抱え進められるほどの力はまだまだ私には備わっていない。ならば時には、少し荷物を軽くして前に進むことが必要な時もあるだろう。そして今まで以上に力をつけられた時、あらためてその荷物を迎えにいければと思う。
さてと明日は日曜日。追いついてないデスクワークと週明けの都内でのミーティングといよいよ始まるTICAD7(第7回 アフリカ会議)と海外出張の準備。
そしてまた月曜日から、東京、横浜。来週からは、またしばらく国内外の出張が続きかなりバタバタになるので、しっかり頑張らねば・・・・・。
今週はお盆商戦に、台風、素敵な出逢いという強い風を感じる週となった。
週の初め、私たちの主たる事業の花き卸は、お盆商戦の終盤を迎えていた。厳しい条件の中、それぞれの部門のスタッフが工夫を凝らし、チームワークをもって取り組み、体力を振り絞り、無事に走り抜けてくれていた。本当にありがたく、そして頼もしく感じる。
そのような時に、やってきた大型台風。日本各地で大きな影響を残していったが、私たちもその例外ではなく、花きの販売には影響はあったようである。また植物部門においても一緒である。さらに植物管理部門においては、超大型植物などは、強風の影響を直接的に受けることが考えられた。さらにその他の植物も同様である。実際に昨年は大型台風の影響を受けて、いくつかの植物が転倒をしてしまった。またハウスなどの施設が倒壊や損傷を受け、その二次被害を受けてしまった植物もある。現に未だ復旧できない施設がいくつもあり、昨年の台風被害は記憶に新しい。
そのような中、植物を護るためにスタッフが協力し合い、万全の準備を行ったため、今回の被害は最小限に抑えることができたようである。しかしあらためて自然の力を感じることになった。
また週中には、とてもアグレッシブな方が新しいプロジェクトの打診で弊社を訪れてくださった。その力強い話や方向性には共感させていただけることも多くあり、きっと新しい風が吹くように感じられるものである。
週末には長崎へと向かった。今年になって長崎訪問は3度目になる。過去2回は県庁やハウステンボスなどジャスト植物に関するプロジェクトでの訪問であったが、今回は少し違ったプロジェクトである。ここで詳細を報告させていただけるまでには至っていないが、このプロジェクトは植物、農業、環境にとって大きな意味を成すものであり、また新たな風が吹くことになると思っているので皆さんには乞うご期待である。
台風というリアルな風や、流れなどを比喩した風を強く感じた一週間。全く違う意味の風を受け、台風一過のように目の前には澄んだ青空が拡がっている。この穏やかで輝いた世界をしっかり目に焼き付け、曇る日、雨の日の大切さを理解しながら透き通った世界へと歩んでいきたいと強く思えた。
今日は 猛暑の都会での活動となった。今回の都内も予定がぎっしりでバタバタの2日間となった。
1日目は省庁にて私たちの活動や考え方を話し、簡単なプレゼンと各担当の方々とのディスカッションを行うという貴重な機会をいただいた。
そして私たちの活動に興味や関心を強く持っていただけたことは、今後の花き業界にとっては非常に価値があることのように思う。今後もこのような機会があれば率先して取り組んでいきたいと思う。
その後、スペイン大使館に顔を出し、諸々の報告と情報交換をさせていただいた。そして再び霞が関に戻り、ミーティングの時間と、ご指導をいただいた。
ちょうどこの日は各省において「こども霞が関見学デー」が開催されており、私は国土交通省の屋上庭園で、2日間限定の『空の公園』を見学させていただいた。
屋上庭園では、既存の建築物への屋上緑化技術の適用検討と効果検証を通じた、 屋上緑化の普及啓発を行っており、新たな活用や維持管理方法について検討をしているとのこと。
そしてこの日に併せて、除草と動物とのふれあいが同時にできる「ヤギ除草」のデモンストレーションが行われ、多くの親子が参加して、とても良い表情でヤギや植物と触れ合っていたのが印象的であった。
さらに、暑い中でもロボット芝刈り機や遊具、ベンチなどに興味を持ってとても楽しそうな顔をしていたのが印象的であった。
どちらかというと少し距離があって堅い印象がある省庁に、このように子どもたちが訪れ、省庁の役割や取り組みなどを知る機会はある意味、考え方のバリアフリーにつながるとても素敵なことであると思う。私が小さなときにもこのようなイベントがあれば、ひょっとしたら違った道を歩んでいたかもしれないと感じた。いずれにしてもまた機会があれば、子どものように色んな省庁を周り、色々学んでみたいと感じた。
そして国交省の屋上から国会議事堂を眺めることができた。とても良い眺めである。
国会議事堂と言えば先日バリアフリー化について議論がされていたのをTVなどで観させていただいた。
自身で議会に参加できない議員のためや、今後のためにいち早く整備し、バリアフリーを進めるべきとの意見があった。また歴史的な建物であるので改修すべきではないのではという声も上がっていた。
私の意見としては、お叱りを受けるかもしれないが、議場の座席については早急に環境整備を行わなければならないが、導線の整備に大きな予算を使って歴史的意義のあるものを改修するよりは、もっとやらなければならないことがあるように感じている。
現状の日本でも各地、各施設でバリアフリーが推進され、施工がなされている。その他にも点字による表示や、音による誘導など、不便を余儀なくされている人を補助する設備が整えられてきている。それはとても素晴らしいことと思うし、今後もすすめていくべきだと思う。でもしかし、バリアフリー化が進み、補助設備が整っていても、実際には駅のホームから転落してしまう人もいる。
さらに国土の全体を見てみれば、バリアフリーになっているところは、まだまだごく一部で、普段歩き、車が行き交う道などの生活圏は、ほとんどそのままである。いくら制度を設けて推進しても到底追いつくわけがない。
そのような中、今、もっとも必要とされているのは設備ではなく人を支える心や手ではないかと思う。それこそが最も有効であり、その携える心や手があれば、どんな段差でも上ることができ、目の前が見えなくても安心でき歩けるようになるのではないかと思う。
にもかかわらず今の日本はどうだろう。設備を整えることによって、満足をしてしまったりしていないだろうか?私はバリアフリー化をすすめると同時に、困っている人にはもっと手を携える、声を掛ける、という「人として当たり前の心」を醸成させる機会を創り出すことに、力を入れるべきではないかと思う。
そのような機会の一つがこの国会のバリアフリー化の問題ではないかと感じた。私はそのためにも敢えて国会議事堂をバリアフリー化せず現状のまま、二人の議員が議会に出席するために、議員が党の所属や意見の対立などに関係なく超党派で補助する姿を、より広く多くの人に見せていただくこともその一つではないかと思う。
国会議員の先生方には党利による偏った考え方という障壁を取って国家のために議論をしていただき、私たち国民は仕事や生活の中で自社や自身のことばかりにとらわれないようにつとめるという「心のバリアフリー化」が必要であり、ユニバーサルデザイン化を進めなければならないのではないかと思う。
豊かな国を創るための物づくりが得意な日本。それ以上に私は心豊かな国を創る人づくりがしっかりとできる日本でなければならないと強く考える。