四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

今日は秋のお彼岸。毎年お墓の掃除とお参りをするのが恒例である。家業を継いでいる者としてはごくごく当たり前のことではあるが。

そしてこの秋の彼岸もお墓掃除をしながらご先祖様に日々のお礼を伝え、教えを乞うように話しかけてきた。

私は、彼岸にだけ自分に対し許していることがひとつある。それは過去を振り返ることである。普段においては意識的に過去にとらわれず前へ前へと進んでいくようにしている。それは自分自身のとても過去を気にしすぎ、ネガティブなことを考えすぎてしまう癖をなくすためでもある。

彼岸中、目的地へ移動する際には、時にはある人との時間を振り返り、時には前を通り過ぎていった人を思い出し、時にはもう戻らない人を偲びながら、反省しながら自らへの戒めを繰り返す。そして戻るまでに、さらに前を向いて進んでいく力を養うようにしている。

そして今年も秋の彼岸を迎え、季節は夏から秋へ移り変わっていく。百日紅の花と薄の穂がどんなに暑い夏であっても、苦しい夏であっても、必ず秋はやってくることを教えてくれているように感じる。

さて大変な年ではあるが、その中でも実りある秋となるように日々を大切に行こうと改めて感じた、そんな又右衛門の彼岸の1日であった。

暑い日々が続く。蝉が鳴く。
そのような中、強大な台風が近づき、強い風に運ばれ転がり込んできた。

まだまだ棘も柔らかく、手のひらにのせても痛くない。私にはこれが何かは分かる。

キツネザル君には何か分かるのだろうか?

カメレオン君は目を丸くして見つめている。

バオバブ君はきっと自分の子とは似てないな~~とは思っているのかな?・・・

いずれにしても、みんな地球の子であるのは間違いない。秋はもうすぐ・・・

8月からの新年度に入って早くも1か月。
お盆商戦や新しいプロジェクトなどバタバタしているうちにあっという間であった。

まずは神棚を祀り、夜明けと共に地元の氏神様である松尾神社を参拝し、元気に過ごせていることのお礼を伝えた。松尾神社は通学路の途中にあるため、小学校時代ほぼ毎日通っており、50年経った今でも、参拝するとその頃のことを思い出す。

そして大阪営業所に移動し、営業所の氏神様である春日神社を参拝し、社員の無事の御礼と祈願をした。
境内では業界の大先輩の姿を久しぶりに拝見した。
随分前に引退されていることもあり、私に気づいておられたかどうかは分からないが、一時代を創り上げた大先輩の姿を懐かしくも感じることになった。

そして2日遅れになってしまったがマリネックス本社の氏神様である華表神社にも参拝。

まるで業務より神様参りを優先しているかのようにも感じられるが、否定はできない。
何故ならば、私には特別な頭脳があるわけでもない。権力やお金があるわけでもない。
それにも関わらず素敵な人びととの縁を紡いでいただき、元気に活動できていることは、パートナー以外には、八百万の神々のおかげとしか思えないからである。

ここ華表神社には素敵な楠がそびえたっている。とても雄大な姿で。
そしていつものように感謝とお願いをしてきた。お願いの内容は◎△×■★・・・さすがに言えない。あまりにも大きく無茶なお願いなので。でも私は願い続けていきたい。それはその力を授けて欲しいというより、そのような力をつけることができる人になるための誓いのようなものであるから・・・

今日8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。

まずもって今まで繰り返された戦争によって、かけがえのない命を失った多くの方々を追悼しご冥福をお祈り申し上げます。
そして遺族の方々、身体や心に傷を負った人びとが少しでも癒えることを心より願います。
また、多くの方々の貴い犠牲と先人のたゆみない努力によって繁栄し、平和に向かい今を過ごせていることに深く感謝いたします。

8月15日と言えば、私は小さな頃、お盆の送り火のため、おばあちゃんに連れられてお墓参りに行っていた。そして学生の頃には、家業を手伝うためにお盆期間は毎日、お花を売る手伝いをしており、忙しさのあまりに「戦争」という言葉についてゆっくり考えることはできていなかった。ただ、ある歌を口ずさむぐらいであった。

それは「戦争を知らない子どもたち」という歌で、学校の音楽の授業であったかとは思うが幾度か聴いていたのを記憶している。その時は、歌の持つメッセージを読み取ろうとはせず、単純に繰り返し聴き歌っていたことでその歌詞とリズム、何よりこの歌の題名は明確に記憶している。

そして、改めて歌詞を読んでみたが、やはり作者の想いは「これ!」なんだなということが明確には分からない。
戦争を体験した世代の方々からは、自分たちは一人前の大人と認めてもらえないということなのかな?とも・・・。戦争の実体験こそないが、その惨状を伝えてもらった私たちは、二度と同じ過ちを繰り返さないことを深く心に刻み込み、みんなで平和に向かって歩いて行くことが大事ということなのかな?とも思ったりしています。

すみません。相変わらずの支離滅裂なアップですが、今回私が言いたかったのは、いずれにしても日本は多くの犠牲と努力によって繁栄し、平和な世の中へと向かっていることは確かであるということ。
しかし世界ではどうだろう。同じ方向性、同じ速度で平和へ向かえているとは言えない。また私たちが平和と描いているところに向かうために未だに犠牲になっていることはないだろうか。人、環境などどうだろうと考えてしまう。私は犠牲の上に本当の意味での平和は訪れないと思っている。

そして真摯に向き合っていかなければならない。「平和を知らない子どもたち」平和の意味すら知らない子どもたちがあまりにも多くいるという現実を・・・・・。

今日8月6日は広島平和記念日・原爆の日。
先月広島に行った際に案内されて観覧した原爆資料館の光景が頭に浮かんでくる。

写真で見ただけでも目を覆いたくなるような光景。実際に目の当たりにした方々にかけられるような慰めの言葉を見つけることができない、戦争を知らない子どもたちの一人であった私である。

祈念公園で慰霊碑に向かった際に、そこに刻まれていた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が胸に刺さっている。

過ち・・・核兵器、戦争がそうであろう。本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
しかし人類が犯した過ちはまだまだ他にもあると思える。

 

人間本位の開発などもそうであると言えるのではないだろうか・・・・・

文明・発展という名の大義名分のもとに繰り返されてきた開発による影響は、今の地球環境や社会現象として各地で顕著に表れている。それをよく知っているのは、実際に経験した先進国と言われている国々ではないだろうか。

にも関わらず新興国に同様の開発を促し、協力しているのを見かけることがある。
是非、日本はそのような国々と競い合うのではなく、まずはその国の文化・自然を守ることを優先するべきだと思う。そして自ら体感した社会問題を二度と繰り返さないようにしなければならないと強く思う。

 

また、毎年この時期には「平和祈念」という言葉をよく耳にするが、私は違和感とまではいかないけれど、少し考えさせられる言葉に感じる。

全ての生き物は必ず平和であって欲しいと思っているのではないだろうか?
それに異議を唱える者はおらず、みんなが同じ方向を見ているはずなので、すぐに実現できるように思う。しかしそれが実現できないのはなぜだろう。

個々がそれぞれに平和について自分都合の勝手な解釈をし、自分自身のみの安全や不自由ない生活のことを平和と思っているからではないだろうか?

 

平和とは全ての生きとし生けるものが等しく健やかに生きていき、天寿を全うできる世の中であると私は理解している。

平和は祈念しなければ実現できないものなのだろうか?互いが思いやりの心を持ってさえいれば実現できるのではないだろうか・・・・・

残念ながら75年前に戻ることはできない。
でも当時のことから目をそらさず向き合い、同じ過ちを繰り返さず万物に対し感謝の念を強く持ち、互いを思いやる心を持つことは、今日、今からでも可能であろう。

それこそが何よりも慰霊になるのではないだろうか・・・・・。

日本全国で梅雨入りとなった今週、バラエンでは実に様々なことが始動・再始動した。
ZOOMに加え、社内外でリアルミーティングも再開され、バタバタの一週間であった。
その内容が多岐にわたるのと、現時点ではブログでは書けないことが多いため、前回まで数回取り上げた「●●の日(記念日)」について少し書かせてもらおう。

記念日についてネットで調べてみると、この一週間は下記のように掲載されていたので、それにあわせて私のコメントを少し・・・

 

●7日 - 母親大会記念日、むち打ち治療の日

むち打ち治療の日って・・・
実は私は20歳過ぎに、運転中かなりきつく追突され、2か月間入院をしなければになったことがある。入院中は点滴で腕が腫れ上がってしまいブルーな毎日であったが、同室だった電車にひかれながらも九死に一生を得た人と仲良くなり、看護師からはちょい悪入院患者コンビと呼ばれ、お互いを励まし合いながらの入院生活は人生の中での貴重な日々になった。

 

●8日 - バイキングの日

バイキングは、最近は新型コロナの影響もあり行くことが少なくなってしまったが、歳も歳なのであまり食べられないのにワクワクする。そして、苦しくなるまで食べてしまい、いつも後悔をするのが常である。

 

●9日 - ロックの日、ネッシーの日

ロックの日・・・見た目はロック好きのようにも見えるかもしれないが、又右衛門は邦楽や雅楽が案外好きである。
またネッシー・・・私は以前見たことがある、と言いたいが明らかに嘘つきと呼ばれるのでやめておこう。

 

●10日 - 時の記念日、路面電車の日など

●11日 - 国立銀行設立の日、雨漏り点検の日

●12日 - 恋人の日、日記の日、バザー記念日、宮城県防災の日

恋人の日・・・懐かしい良い響きがする。これ以上は控えておこう(笑)

日記の日・・・今まで何度かチャレンジしたが、最高記録でも小学校の夏休みの宿題にまとめて書いた絵日記が一週間分である。そのことを思えば今も書いているこのブログは神がかっているほど続いていると言える。

 

●13日 - 鉄人の日、FMの日、小さな親切の日、はやぶさの日

FMの日・・・きっとファミリーマートではなく、ラジオのFMだと思う。最近は出演の機会がなくなったが、以前いくつかの局でお話する機会をいただいたり、番組を持ったりしていた。私ほど噛む者を選んでいただいた局の方に敬意を表したい。

小さな親切の日・・・素敵な日である。毎日がこのように日になるように努めたいと思う。

 

●14日 - フラッグデー

●15日 - 信用金庫の日、暑中見舞いの日

信用金庫の日・・・最近は新型コロナの影響で金融機関の方とお話しすることが多くなってきてしまった。金融機関の支援だけでなく、励ましの言葉に勇気づけられることもしばしば。

 

正直かなり厳しい状況である。そのような中でピンチをチャンスにと言葉にするのは簡単であるが、その糸口があるのか?見つけられるのか?と不安に思うこともある。

しかし私たちには繋がりがある。絆がある。きっとこの先は新しい世界に繋がっていると確信している。今は、跳びあがるために思いっきりしゃがみ込んでいるだけである。

 

今回、全く意味の解らない投稿になってしまって申し訳ないです。

ただ本当にいくつもの記念日があることに驚かされた。

そしてそれと同時に、この厳しい局面をみんなで打破して、復活記念日を作ってみたいと強く思うことになった。

今日、6月2日はローズ(バラ)の日ということらしい。

何故ローズの日になったのかをネットで調べてみると、「6=ロー・2=ズ」で、「ローズ」の語呂合わせであるのと、この時期はバラが美しく咲くからということからも、日本記念日協会に正式に認定、登録された記念日とのことである。

 

せっかくローズ(バラ)の日なので、何故私たちの会社名が「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」であるのか?について少し触れたいと思う。

 

 

最近の私たちや又右衛門の活動をみると、私たちは花き園芸の仲卸会社や輸入植物を扱う会社であると思っていらっしゃる方も多いかと思う。
もともとは、明治初期に初代金岡又右衛門が園芸に深く関わり、そして薔薇の生産を行ったことから「薔薇園植物場」という屋号で活動をさせていただいたのが始まりである。

 

 

大正時代には、業界ではいち早く輸出や通販を始めており、二代目のパワフルな活動には今更ながらに驚かされる。そして学生時代には何級も飛び級で学年を上がった二代目はハイカラであったのか、「ROSEGARDEN」という屋号でも活動をしていた。

 

その後、宝塚では薔薇の生産が思うように拡げられなかったために、半分を岐阜に移し、今の岐阜が日本を代表する薔薇の生産になる礎を築いたようである。今でも岐阜に行くと多くの方々に当時のことを教えていただける。
またもう半分を山梨の甲府に移し、現在のコマツガーデンさんの創業者の方々と薔薇生産に取り組んだ。

今は、後藤みどりさんをはじめ多くの方がご活躍されていることを二代目も天国で喜んでいてくれると思う。

 

そのようなことから、三代目、四代目と薔薇園植物場という屋号を引継ぎ、気がつけば今年で創業140周年を迎えることになった。
三代目の時代には、はじめは薔薇の生産に関わっていたが、しばらくして薔薇の生産から離れ、国内での通販や造園、量販店においての小売り事業を行なってきた。

 

 

そして私、四代目は、園芸小売りから生花加工業、仲卸を始め、現在があるのである。

私の時代になると薔薇の生産からはかなり離れてしまった。

 

ある時、薔薇の生産を行っていないのに「薔薇園植物場」という屋号は分かりにくいし誤解を招きやすいということから、社名の変更を提案したのだが、先代に烈火のごとく怒られたのを記憶している。

今になっては私も、変えていなくてよかったのであろうと思っている。

ということで今も「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」という名前で活動しているのである。

 

そんな私が壁にぶち当たりくじけそうになった時にいつも思いうかべる先々代のメッセージがあるので、それをここで書かせていただき、私のローズ(バラ)の日のメッセージにしたいと思う。

 

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文化は国防の一翼

 

現存の諸事情は國民の物質的生活の縮小を餘儀なくして居る。勿論我々はどこまでもこれに堪へてゆかねばならぬ。

然し乍ら物に於いて貧しくなるからといつて心までも貧しくすることは世界をリードする大國民らしくない。 尚の事聖業達成に今後幾十星霜人を追ひ詰めるべきではない何處かに餘裕を残して置くべきであらう。國民的基礎の上に立つ生産的な文化政策、健全なる娯楽の必要は今日痛切である。

(中略)

漸く我が園藝界が世界の水準に到達したやさき、 公の為に水準低下などとは斷じてなし得べき事ではなく、益々優秀品の生産に新種の作出に無報酬の努力こそ今日我々に課せられた公榮有る職域奉公と信ずるわれわれには父祖の残した偉大なる歴史を繼承し、更にこれを發展させて次代の日本國民へ譲り渡すべき重大な責務が有る。

 

一億一心持ち場持ち場の御奉公、やがては我園藝界が世界の最高水準となり得ることをここに御約束して置きませう。

 

金岡喜蔵 (二代目 金岡又右衛門)

 

年号 昭和16発行 バラエン植物目録 第三百七十六號(376号)より転載

 

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今日は「国際生物多様性の日」である。

私は今まで数十か国を訪れ、そこに住み暮らす人びとや動物たち、植物たちと多く出逢ってきた。

動植物やその他の生き物には全て特徴があり、それぞれに魅力がいっぱいである。

そしてそれらは与えられた環境で互いを尊重し、長い時間をゆっくり共に過ごしてきたのだろうと感じる。

そのことを特に植物などの変遷から感じることができる。

ジャングルや深い森では数千年単位で時が刻まれていることを感じる。

生物多様性を置き去りにし、そこに人類の手が入り、文明という大義名分で開発がすすめられて急速に変化が起こり、多くのものが失われているのではないかと思う。

これらの植物はオーストラリアの深い山に自生している。

3年で1cm伸びると言われている。300年でも100cmしか伸びないのである。

でも私たちの街を300年前に巻き戻すととんでもない変化があるのではないだろうか?

自分たちのスピードではなく、他の生物と同じスピードで歩み進んでいくことを考えなければ、振り返ればそこには人以外の生物はいなくなっているかもしれないのではないだろうか。

 

私たちは他の生物と共に地球を分かち合い、助け合って生きている。

自分たちの便利さを追求しすぎずに、生かされていることを認識しなければならない。

ここ最近、取り組んでいる内容や様々なプロジェクトに忙殺される日々のせいで、ブログやFacebookへのアップができずにいる。

もちろん筆不精?キーボード無精の言い訳とも言えるかもしれないが・・・

そんなこんなでアップできるものが少なかったが、今日は少し。

 

さて、今日3月14日はホワイトデーである。

ホワイトと言えば白。白と言えばハク。ハクと言えば我が家の一員である。

 

このハクと出会ったのは、9年前である。

翌日にオープンを控えた食品スーパーの準備の応援に行っていた時に、どこからか子猫の鳴き声が聞こえてきた。店の方とその声の主を探すも中々見つけることができずに、引き続き作業をしていたところ、陳列什器の奥から聞こえてきていることがわかり、みんなで助け出そうとするも、多くの人に囲まれてしまったためか什器の奥に入り込んでしまい、子猫を連れ出すことができずにいた。

 

そのような時に、オープンのために来ていた内装業のスタッフが、人が入れるのか?と思うような隙間から見事に真っ白の子猫を救出して、皆が歓喜の声をあげたのだった。

そして一同が良かった良かったと胸を撫でおろし、遅くまでかかったオープンの準備を終えて、そろそろ帰ろうとした時にバックヤードから戻ってきたスタッフが、私に「さっきの子猫ちゃんが・・・。」と話をはじめた。詳しく聞いてみると、お店の近くで生まれた野良猫ちゃんたちのうち1匹がエサを欲しさに紛れ込んでしまったようであるとのことだった。

食品スーパーなので、「仕方がないが保健所に引き渡すしかないかな」と相談をしていたらしく、それは何とかしたいという思いから、スタッフがそこで「うちの社長はネコが大好きで・・・」ということを切り出してしまったとのこと。

そして気がつけば、私の助手席にはガサガサと音を立てながら小さな段ボール箱に入った同乗者が乗っていた。

しかし私は、オープンの準備を終え帰社しなければならないにも関わらず、その場から車を出すことができずにいた。

「本当にこの子を連れて帰っていいのか?」みんなが帰った隙に箱から出して逃がせば、「生まれ育った地に戻れる。」「親や仲間と再会できるのではないか?」しかし再びお店に紛れ込んでしまうと、この子は保健所にいかなければならない。万が一紛れ込まなかったとしても交通量が多い道路に面した駐車場は危険がいっぱいで、そう長くは生きてはいけないであろうということなど、様々なことが頭の中で堂々巡りをして、この子にとって一番のしあわせは何だろう・・・と答えが出せずに数時間が経ってしまった。

 

ただ、数時間経ってもその答えを導き出せず、最終的にとりあえずこの場は危険だから帰る途中の近くの公園に放すのもいいかもと自分に言い聞かせてスーパーの駐車場を後にした。

 

 

そして気がつけば9年経った今、ここにいてくれる。

 

 

 

あんなにも小さく真っ白であった子猫が、薄茶色の耳に、曲がったしっぽ。

手のひらに乗るような子猫が今は約8kgまでになっている。育ち過ぎである。

 

その他の子たちよりもひとまわりもふたまわりも大きくなったこの子が、しあわせ太りであってくれたら嬉しいと思うのは、きっと我が家で暮らしたことが、この子にとって一番のしあわせであったはずだと、当時の思いに無理矢理答えを出したがっているのかもしれない。

確実に言えるのは、このハクが来てくれてしあわせな時間を共有出来ていることである。

 

今でもたまに布団の上で粗相をするハク。

トイレに入るとついてきて蛇口から水を飲むハク。

黒いパンツを穿くと必ずと言っていいほどすり寄って毛だらけにするハク。

 

 

いちばんおっとりしているためにいつもみんなに先を越されてエサが少ないハク。でもしっかりこんなにも大きく育ってくれて本当に嬉しく思う。ただただ願うのは一日でも、一時間でも長く、一緒にいてくれること。

そんなことを彼の寝姿をみてつくづくと感じたホワイトデーであった。

まだまだ他にもお世話になっている白(ハク)がいるが、このことはいつまでも話すことはできないかもしれない。そんなかけがえのないハクたちに心より感謝である。

今年も恒例の「えべっさん(西宮戎)」へ、社員有志で参拝させていただいた。

ただ例年は夕方もしくは日が落ちた頃に参拝をしているが、今回は久しぶりに昼間、それも正午ぐらいの参拝となった。

私は40年以上「えべっさん」に参拝しているが、お昼間に行った記憶があるのは10年前ぐらいにおこった悲劇の時ぐらいである。
どのような悲劇があったかいうと・・・その年は例年のように「本えびす(1月10日)」の夜に「えべっさん」を参拝し、飾り物である「さらえ」などの吉兆を授かり本社にて管理していたものが、次の朝には恐らく落ちたか何かの衝撃で「さらえ」に飾られている大きな面が真っ二つに割れていたのだ。その時にこれは不吉、今日からの1年間思いやられると強く感じ、慌てて買い直しに行った・・・ということを記憶している。

そのようなことがあったため、現在では買い直しができない「残りえびす(1月11日)」はできるだけ参拝をしないのが暗黙の了解になっている。さらに業務の都合から日・火・木曜日は翌日が早朝出勤のため避けるようにしている。そうなると今年の場合、候補日は10日ということになる。

ただ今年は令和になって初めての「えべっさん」。それも10日の「本えびす」であり金曜日も重なり、夜は想像がつかないぐらいの混雑と予想し、今年は例年とは違い昼間の参拝となったというわけである。

というわけで、私たちはお返しする縁起物である吉兆やお札を持参し、午前中に大阪営業所を出発。予想通り車の混雑は少なめで、夜によくある入場規制もなく、すんなりと鳥居と赤門をくぐることができた。

境内の順路はいつもより空いていたためスムーズに進めたが、お清めの手水舎は例年以上に渋滞、お札や福笹を買うところも例年の夜より混んでいて思いのほか時間がかかった。
あくまでも私の想像だが、立ち並ぶ夜店が楽しみであろう学生や子どもたちが昼は学校に行っていてほとんどいないため境内は空いていたが、本えびすに参拝する企業の代表などは商売繁盛などの祈願をが主目的であり、参拝作法を重んじる人が多いため、手水舎や摂社が混んでいたように思っている。

そのようなことを思いながら自分たちも手水舎で清め、お札を授かり、本殿を参拝させていただいた。そして警備の方々に促されるように順路を進むことにした。

そして例年お世話になっている吉兆店にて、1年ぶりの再会を喜び合って、お土産物を渡し合った。

近年、縁起物である吉兆も、お面や俵といったトラディショナルなものの他に、可愛らしい招き猫を飾ったものなどが増えてきている。以前に投稿した私のブログをみていただければわかるが、ネコ好きの私は毎年のようにネコが飾られたものを1つは買っており、今年も1つと選んでいたら、社員の一人の「今年は子(ねずみ)年なのに・・・」という言葉にすごく納得してしまい、今年は比較的トラディショナルなもので本社用、営業所用などいくつかを選んだ。

そして多くの縁起物を授かり、吉兆店の方々と私たちとで大きな威勢のいい掛け声で手を打ち、互いが良き1年間になることを願い、次の神楽殿にて縁起物を祈祷していただいた。

そして順路を進むとスタッフの好物であるワカサギのから揚げがあり、皆が購入しているうちに、私は一足先に順路を進んだ。

しばらく歩くと、これまたお馴染みのお化け屋敷などの見世物小屋が見えてくる。最近デジタルアートで著名なチームラボさんたちとお仕事をさせていただく機会があり、最先端の素晴らしい演出に触れることが多くなってきた中、このようなアナログの見世物小屋の楽しさに興味をひかれた。たださすがに真っ昼間の明るい時には、怖さより愉快さを感じることになったが・・・・

そして「荒えびす」を参拝後、スタッフが追いついてくるのを少し待っている間、本当に多くの人びとが私の前を通り過ぎていった。

しばらくして合流することができ、いったん車に戻って縁起物などを置いて、少しだけ露店を楽しむことにした。
私はお決まりのケバブ屋さん訪問。私の見た目が原因なのか、いつもなぜか他のお客さんから店員に間違えられるのだが、今回は空いていたためか声をかけられることがなかった。
しばし楽しませてもらって再び集合し、大阪営業所に戻り、神棚にお札を祀り、縁起物を飾った。

その後、本社でも同様にお札を祀り、縁起物を飾ったのだが、その時にあることにふと気づいた。よくあるタイプのものであるが例年とは少し違う。お判りでしょうか?写真を良く見ていただければわかると思うのでアップを・・・・

いかがですか?わかりますか?
縁起物の飾り物でよく使われる俵が今までと違う!普通はナチュラルな青刈りの藁、もしくは金色に輝く俵かと思うが、何とこの俵はみどり!それも輝く緑色である。多くの中から候補を出し、最後にスタッフが選んでくれた。何ともGoodチョイスである。

私は今年の年賀状では「HAPPY GREEN YEAR」と述べ、最近の講演でも「これからは金より輝く色は緑」と言ってきただけに、今までにないぐらいにテンションは高くなり、今年一年を力強く歩めそうな気がした。

 

そしてその翌日にはバラエンの新年会を開催し、忙しい中、多くのスタッフが集まってくれた。ただ年末を走り切った疲れからか年明けに体調を崩すスタッフもいて、全員集合とはいえなかったが、本当にありがたいことであった。

宴会中は、普段見ることができない表情や生き生きとした表情で話すスタッフの顔を見ることができ、しあわせな時間を過ごすことができた。

そんな時間は経つのが早く、終了後に参加者で写真を撮り、私は次の予定もあるため、頼もしい愉快なみんなの背中を見送らせていただくことにした。

そして今、このブログを書きながら、その時の写真を見ていると色んなことが頭の中を駆け巡る。数名で始めた卸事業が写真のような顔ぶれで一緒に歩むことができている。またこの写真には登場していない参加できなかったスタッフ。また他事業部の人たち。さらに写真を撮ってくれた人。みんなかけがえのない素敵な人たちである。そんなみんなと今年も活動できることを本当に嬉しく思う。

さらにみんなの顔を見ていると昨日の「えべっさん」の1シーンがフラッシュバックしてくる。それは先ほど書かせていただいたが、私が「荒えびす」でみんなを待っている時のことである。正直、再合流するまで、少し時間があったため不安であった。
ひょっとしてはぐれてしまったのかも?私が待ち合わせをする場所を間違えたか?きちんと場所を伝えられなかったのか?などを少しの間でも不安であった。

それはまるで今までの私の歩み方を見つめ直すためであったかもしれない。きちんと伝えることの大切さ、一人で先に歩くということはどういうことか?を思わせてくれた。それでもきちんとついてきてくれるかけがえのないパートナーがいて、顔を見ることができる喜びに感謝を。

世界中で活動する数えきれない多くの人がいる中、今のパートナーと巡り合えた恵まれた縁に本当に感謝である。

さ~来年は、どんな写真を撮ることができるだろうかとても楽しみである。