四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

今日は、朝から10年前に建てた小さな学校がどのようになっているかを確認すべく、車で目的のキャンプ地をめざした。

 途中いつものように、草原をひた走る。まだまだ整備が行き届いていない道に体を大きく揺らしている状況は、期待と不安が交錯する自分自身の心を表しているようだった。

途中では、馬や牛、山羊、羊などと出会い、心の中であの学校はどうなったか?とたずねながら、心を落ち着かせるのに一生懸命だった。
そして約2時間、目的地であるキャンプ地が目に入ってきた。

そこには、当時私たちのミッションの現地の中心的存在であるBaatar氏の変わらぬ姿があった。彼はこの地において、サマーキャンプを毎年開催していて、その際に私たちがつくった学校を利用しながら、管理をしていてくれているのである。

彼には数日前に急にそっちへ向かうと連絡していただいただけだったが、遠路より訪れた私たちを、温かく迎え入れてくれた。

そして多く言葉を交わす間もなく、何よりも当時の場所へと早足に移動をした。しばらく歩くと、目の前にはほとんど当時のままの姿の建物があった。

学校の入り口に、当時つけていった看板もしっかりついていた。
 
それと壁に子供たちとミッション参加者が笑顔で一緒に描いた絵も残っていた。

またその絵に、その後参加者が重ね描きをしてくれていて、多くの人がここを訪れ、この場で子供たちと交流し、色んな事をお互いが学び合うことができ続けていることが確認でき、あらためてみんなで作ったことが間違っていなかったと、安堵感とうれしさを同時に味わうことができた。

さらにこの施設ではその後も増築をすすめ、世界各国からのボランティアを受け入れられる宿泊施設も増え、その参加者同士や子供たちが学べる場所もできていた。現在も2人の日本人がこの地で活躍しているとのこと。会って激励したかったのだが、日曜日でお出かけしたとのことであった。これからもこの地で子供たちと触れ合い、様々な学びを得て帰国してくるのであろう彼らに、大きな期待をしたいと思う。


 本来であれば、この施設で、現地の子供たちと各国からくる参加者とともに、一緒に汗を流したかったのだが、日曜日であったのでそのことは叶わなかった。しかし明らかに前進しているここのメンバーの実際の行動とその結果で多くの勇気をいただくことができた。

 さらに普通であれば食べる野菜を作るのに毎日フラフラになっているであろうに、この施設には花も育てられていて、その花は普段私が見る完成度の高い花や、一流のデザインを施された花とも違う、特別な美しさがあり、安らぎと力強さを与えてくれた。 


本当はもう少しここに滞在し、いろんなことをゆっくり考えてみたかったのだが、モンゴルは長い間氷と砂嵐によって閉ざされる時間が長いため夏はとても貴重な時間である。そんな貴重な時間を私に割いていただくわけにもいかないので、かなり後ろ髪をひかれる思いをしながらだったが、彼らと強く握手を交わし、また訪れることと、私たちにできることの協力を約束し、また草原に車を走らせることにした。

10年ぶりに訪れたこの地には、あまりにも当時のまま残っている建物、絵などがあるのが、可笑しくっておかしくって、涙が出そうになった。

本当にありがとう。きっとまた訪れます。また逢う日まで元気に頑張ってください。
私も皆さんに負けないよう、皆さんとの思い出を糧に情熱をもって頑張っていきます。

関空を10:00に出発し、北京国際空港に13時前に到着した。

 ここでトランジット。イミグレーションを通過するとき、目薬を出すのにポケットに手を入れていたら、「ポケットから手を出せ!!」と・・・・・。相変わらず手厳しい。
ポケットに手をいれて叱られたのは、きっと小学生の時以来だと思う。その厳しい口調に、少しムムッと思ったのだが、続いてのボディチェックのときの女性が、とても好意的に微笑みかけてくれたので、少し気をよくして出発ゲート近くまで移動した。

そして時間があるので航空会社のラウンジで食事をとった。

ここの炒飯は庶民的だが中々美味しい。その他鶏肉の炒め物も結構いける。さすが中華はどこで食べても安定しているように思う。それと一緒にオーダーしたトマトスパイシーヌードルは、少し期待はずれであった。

 

お腹も膨れてメールチェックしようとパソコンを開いてアクセスしようとしたら、それが中々うまくWi-Fiにつながらない。そのため仕方がないので持っているスマホのテザリングでつなげたもののかなりの速度遅さ。写真一枚送るのに5分以上かかってしまうほど。
あり得ない。おまけにFacebookもつながったり、つながらなかったり・・・・・。

中国でFacebookがつながる方が珍しいかもだけど、他国と違う相変わらずの状況に正直ちょっとイラついてしまった。

 

そんなこんなでも結構ラウンジでは快適に過ごさせていただき、15時まえのウランバートル行の飛行機に乗り込んだ。

 

飛行機の中では、不愛想な表情でサンドイッチが配られたのだが、おまけにこれが結構厳しい味。さらにジュースは常温。体のことを気遣って常温とは決して思えない心遣いであった。

北京までの日本の航空会社とウランバートル行の中国系の航空会社との違いを歴然に感じることができた。それと同時に今度からは、食事はラウンジできっちり食べて、飛行機の中では口にせず、ひたすらパソコンを開いて仕事に没頭しようと思った。つまらないことでしょうが・・・()でも皆さんもそのほうがいいと思いますよ~~。

 

ま~そんなこんなで、目的地チンギスハーン空港(ウランバートル)に無事到着した。

 モンゴルにつくと、10年前の色んなことが思い出されてくる。うれしいこと。悲しいこと。悔しかったこと。笑ったことなど・・・そのころ私はまだブログを書いていなかったし、Facebookなどももちろんなかったので、皆さんに伝えるすべを持ってはいなかったので、今回はその辺のことも改めて書きながらアップしていければと思っている。

 

まず空港に着くと、初めてモンゴルに降り立ったときのことを思い出された。当時は海外旅行の経験もほとんどなく、語学力もないため言葉もわからない単身の私がマイナス35度の極寒の地ついて、かなり寒く、不安であったことなどを・・・・・

そのことを思えば、この10年間で個人的には少しは成長したのかもしれないと思った。

そして空港で10年前のミッションの現地調査から開催まで、私の手足となって動いてくれたハグワ氏と再会し、今回のスケジュールの打ち合わせを兼ねて、一緒に食事をした。


 今日の晩餐は日本のしゃぶしゃぶのようなものである。このお店は一人に一つずつ鍋が与えられ、自由に食べる。その前の機内食がかなり・・・だったのもあり、ここでの食事はとても美味しく感じた。

そしてお互いが当時の思い出話をしていると話が尽きないため、食事を早目に終えると近くのデパートの視察にいった。

 このデパートは10年前もあったが、改装などもあり、かなりきれいになっていた。
店内には海外ブランドもあり、かなり華やかになっている。

さらに1階入り口付近には花屋さんが、問屋街のように5軒ほど隣り合わせで営業をしていた。同じ場所で数件が隣り合わせて営業とは、日本では見ることができないビジネススタイルに驚きをおぼえた

各店舗ともデザインや品質はかなり厳しいものがあったが、10年前にはこのように売られていることが少なかったので、そのことを思えば随分進んできたように思う。


ちなみにこのブーケで2500円ぐらい。月給が5~8万ぐらいが平均なので、結構高価なもので日常品とは到底言えず全てギフト用なのであろう。

モンゴルの車の80%は日本車に思えるほど日本車が多く、ランドクルーザーの新車も走っていた。価格を聞いてみると1200万だとか・・・。一部かどうかはわからないが、このような車がゴロゴロ走っていて、この10年間で経済も大きく成長したのであろう。後はバブルのように、はじけないことを祈っておこう。

そしてこの日はこの辺で視察も終えることにした。さー明日はこの衣装でも着ていこうかな。

では今日はこの辺で。

おやすみなさい。

今回のモンゴル訪問は大きな目的は2つある。

 

その一つは10年前、NGOの理事をさせていただいたときに、実行委員長として企画、開催させていただいた「モンゴルミッション」において、参加者が大自然や地元の皆さんと触れ合いながら学び、遊牧民の子供たちが少しでも勉強できる機会が得られるようにと、ほとんど何もない大草原にとっても小さいながらみんなで建てた学び舎がどのようになっているかの確認である。

 

そしてもう一つは、弊社が開発会社とともに推進しているセラミック栽培式野菜工場が、モンゴルの地において活用できないかなどの視察と検証をかねての訪問である。

 

今回は予算を節約するために、直行便は使わず北京を経由し、尚且つ特典航空券の旅である。そのために往路は早朝に自宅を出発し、夕方チンギスハーン空港に着く予定。

そして、復路は夕方ウランバートル出発し、北京にて一泊し、翌日福岡を経由し、夜に帰ることになる。

この間草原の中を走り回っている時間が長いため、ブログやFacebookなど中々更新できず、場合によっては帰国してからの、まとめてのアップになるかもしれないが、もしよければ、時間つぶしにでも見ていただければと思っています。

 それでは行ってきます。

 

昨日でせりも終わり、週末まで休市になりました。

 

 

 

今年のお盆は皆さんもご存知の通り、台風の影響を直接的、間接的に受け、厳しい状況になりました。これは生産者、流通、小売りすべてが多かれ少なかれダメージを受けた状況です。

 

うちの会社も、それぞれの部門が一生懸命に取り組みましたが、厳しい結果になってしまい、

改めて天候に大きく左右される業界であり、その怖さを痛感しました。

 

そのような中、私は台風が来るたびに、数十年前に農家の人に聞かされた生の声がよみがえってきます。それはある大きな台風が来た時に、ビニールハウスの前に、カッターナイフをもち、苦渋の判断に迫られた時のことです。

 

このまま台風が直撃したら、ビニールハウスが飛ばされてしまい大きな損害がでてしまうかもしれない。それを避けるためには、ビニールハウスのビニールを切り割き、骨組みだけにしてしまうしかない。ただそうすると、中にある花が全て倒れてしまい、商品価値がなくなり、明日からの食べていく糧を失ってしまう。という話されたことを思い出します。

 

生産者は一年中このような厳しさと背中合わせに営んで来られています。植物によっては数十日間で商品になるものもあるが、数年数十年間の年月を費やして商品になるものもあります。

 

そのような大事なものを、私たちは、ほんの短時間で販売をしていかなければならない業種です。であるならばその植物の大切さ、尊さをもっと感じ、敬意を表さなければならない。理解していかなければない。そしてそのことを生産者の代弁者として、きっちり伝えていかなければならないとひしひしと感じています。

 

私もこのお盆のうちに、改めて考えてみる時間がとれればと思っています。

花き業界の皆様、お疲れ様でした。

それ以外の方々、こんな生産者の状況を少しでもご理解いただければ幸いです。

今日は山梨県 甲府でバラ生産や販売で名を馳せる「コマツガーデン」さんを訪れた。

 

 

コマツガーデンさんは、薔薇の愛好家などの皆さんでは、知らぬ人はいない程の、歴史と実績を持っている会社であり、薔薇に関して草分け的存在である。

 

また現在は代表の後藤みどりさんが、様々なところで講習をされたり、幾度もメディアにも取り上げられたりするほどのすごい方である。

 

そんなところでありながら、厚かましく今回はアポなしの訪問をさせていただいた。

 

実はコマツガーデンさんと薔薇園植物場は父や私の代では交流はあまりなかったものの、両社の創業時や昭和初期には、電撃的な出会いで結ばれていて、互いがその時代を生きてきたのである。

 

ただこの私もそのことには深く知らなかったが、今回の訪問でいろんな話を伝えていただけた。

 

アポなしで伺った今回であったが、偶然にも後藤みどりさんがいらっしゃって、そしてお父さんである会長の小松孝一郎さんもいらっしゃり、私のいきなりの訪問にも関わらず、歓迎していただき創業時の貴重なお話を聞かせていただいた。

 

祖父である金岡喜蔵が甲府のこの地を訪れ、そしてどのようにして小松孝一郎さんと出会い、なぜこの地でバラ栽培が始まったか?ということや、その後の苦労談、祖父金岡喜蔵の武勇伝??などを、多くを聞かせていただけた。

 

そしてその絆を深めるに至った薔薇「オペラ」の逸話も・・・

 

 

話の中には、薔薇において多大な功績を残してこられた鈴木省三氏や岡本勘次郎氏、

駒場バラ園さんや河本バラ園さんなどの重鎮の名前が次々と出てきて、それらの方々と薔薇園植物場が深くかかわっていたことなど、祖父や父から語り継いでもらうことができなかったことを、多くを私に伝えていただけた。

 

その内容は、あまりにも深くとても素敵な話だったので、その一言一言が私の身体に染み込んでいった。

 

そして気がつけば数時間が経ってしまった。

 

また小松さんは、以前に鈴木省三さんに祖父 金岡喜蔵の取り組みについてなどを書籍に残していこうと言われ、取り組みをされようとされたが、鈴木省三氏の逝去に伴い、このことは叶わなかったといわれていた。

 

であるならば近い将来、昭和初期のバラ栽培の変遷について、ここまで知っている方でご存命の方はいないので、是非小松孝一郎さんが、バラ生産の自らの取り組みや、周囲での出来事などをバラの日本史などをつづっていただき、バラ栽培者にのみならず、園芸に関わる多くの人の、教本として残していっていただきたいと願うばかりである。

 

今回の訪問において、小松孝一郎氏や後藤みどりさんから多くのメッセージをいただけた。本当に無形の宝物をいただいたような感じがし、これからも薔薇園植物場の名前に泥を塗らないように頑張っていかなければと改めて感じることができた。

 

いきなりの訪問にも関わらず、ご対応いただき本当にありがとうございました。心より感謝いたします。これからも多くに人に、バラと歩んできた貴重な日々について語り続いていってほしいと願っています。

 

私もこれら先人の功績を後世に伝えるために微力ながら尽力をしていきたいと思いますのでこれからもご指導お願いいたします。

 

最後になりますが、祖父がこの世を去る少し前に、小松さんは祖父の入院を伝えられ、北海道から急遽大阪の病院においでいただいたとのことでした。

 

その時祖父 金岡喜蔵は小松さんの手を握り、「ありがとう。いい人生やった。」と言葉を残したとのこと。そして小松さんも同様に、この世を去る時には、そのような言葉を残していけるほど、一生懸命生きていきたい。それと「出会いは何よりも大切ですよ」とこの二つを何度も繰り返してられました。

 

その言葉は今まで読んできたどのようなビジネス書や様々な書籍よりも、私に多くの力と学びを与えていただけた。ありがとうございました。またお会いできますこと楽しみにしています。

 

 

 

 

今回の出逢いは、きっと祖父が導いてくれたのだと思う。

おじいちゃん。ありがとう。

今日は81日。わざわざ言わなくてもいいと思う人もいるかもですが~~。

 

私の愛する会社の決算は7月なので、8月からは新年度を迎えることになる。

言い換えてみれば今日はお正月かも・・・

というわけで、今月も朝から自宅、本社、営業所、仲卸の神棚をお祀りし、本社、営業所の氏神様の参拝をしてきました。

 

 

昨日までを去年とすると、昨年も本当にいろんなことがあった。

数字として昨年度は到底胸を張れたものではないだろう。でも、少しずつでも自ら考え行動して、伸ばしているスタッフは素晴らしいと思う。そしてまた輸入の増加、輸出事業の開始など新しいことに果敢にチャレンジしていけたことも素敵だと思うし、その辺は胸を張っていいところだと思う。

 

6月には「花き振興法」が成立した。法によって花きの重要性が認められ、法によって守られて行くことになる。これは私たち業界にとっての悲願であったといえる。

このことによって大きなものが動き始める。

 

また7月末には「花の国日本協議会」も設立された。その他にも様々な団体が立ち上がってきた。

 

花き業界にとっては今までにないような追い風ではないだろうか。

 

2020年には東京オリンピックも開催されるなど、今後の花き業界は近年には無い盛り上がりをし、活況を迎えてくるだろうと疑わない。またすでにそこを見越した企業は動き始めている。

 

そのような追い風を受けて前に進むには、ただ単に人任せではいけない。まずは自分がその中心の一員であることを自覚しなければならない。そして風を受けるために帆を立てなければならない。ただ帆だけを立てても、船が時代に即してなければ沈んでしまう。また船は新しくしても、そこに乗り込む船長をはじめ乗組員がきちんとコンパスを片手に、強い信念をもっていなければ、間違った方向に進んでしまうだろう。

 

そして何より、1船だけがうまく風を受けて進んだとしても運ぶことができるしあわせなど限られている。であるならば、目的を同じとするもの同士が手を携え、大きな船団としての船出をしなければならないと思う。大義のために。

 

 

いざ!花を片手にしあわせづくりに出航しようではないか・・・。

今日は朝一番で東京農大で行われる花卉懇セミナーと30周年祝賀会出席のため上京。

 

 

東京農大までは自宅を出て4時間強かかったので到着したときに結構バテ気味であった。

 

早速、記念講演がはじまり、佐分利さんをはじめ、素敵なメンバーの皆さんが講演され、とても多くを学ばせていただけることができた。

 

その中で皆さんに共通していたのは、数字や背景をきっちり把握しながら、その上で花に対する情熱にあふれていたということであった。その為か、向かい合って講演をきくことができ、体に入ってきたように思う。個人的には勉強になったのもだが、それ以上にさらなる勇気を与えていただき気分を高揚させてもらえ、とても心地よいセミナーであった。

 

 

そしてその後の懇親会では、多くの人とご挨拶させていただくことができた。

久しぶりにお会いする方、初めてお会いする方、その中には「Facebookやブログをいつも楽しみに見ています。」などとお声掛けいただき、おかげでまたまた力が湧いてきました。

最近ちょっと疲れ気味だったけど、こんな私でも見ていただいている方がいると思うと当たり前のように元気が出てきました。これを糧に、もっと素敵な植物を皆様に伝えていきますね~~。

 

今回お名刺をいただいた方や、ご挨拶をさせていただいた方、厚かましいかもですがまたお邪魔させていただきたいと思っていますのでその時はよろしくお願いいたします。

 

そうこうしているうちに、懇親会も中締めを迎え、名残惜しい気持ちもありながら会場を後にしましました。

 

そしてその後は緊急招集があった高校時代の同級生との久しぶりのプチ同窓会が開催され、学生気分に戻りバカな話をしたり、思い出話をしたり楽しいひと時を過ごしました。

 

いやいや今回の上京も多くの人に巡り合いとても素敵なものになりました。出逢いって本当に素晴らしいですね。

 

さて一晩ホテルで過ごして、宝塚に戻ります。

今日は大植生産者協議会に出席のため、エクシブ八瀬離宮に。 

 

今回は、縁あって今年から新しく一緒に働いていただけることになった田中広太郎君と一緒の参加である。

 

この田中君は、蘭に関して持っている業界でピカイチの知識を活かして活躍してくれている。

 

そんな田中君を皆様にあらためて紹介するのと、何より日頃お世話になっている生産者の皆様への感謝を伝えるために、参加をさせていただいた。

 

講演では当会の特別顧問の松浪健四郎様のとてもユニークを交えたお話や、河野メリクロンの社長の興味深く元気溢れる話を聞かせていただき、とてもいい勉強になった。 

 

私はこの会に参加させていただくようになって、おそらく5年ぐらいかと思う。

 

大植の買参人としては、学生の時分から現社長の藤原社長や東専務にお世話になっていたのだが、基本鉢物は父の領域で、私は主に切り花を担当していたため、鉢物の生産者の方々と接することがなかったので、このような設えは鉢物の卸しとしての経験値が低い私にとっては多くを学ばせていただける。そしてそんな絶好の機会に接しながら約2時間の懇親会を堪能させていただいた。

 

今回も1年ぶりに会う人がほとんどであったが、皆さん元気な素敵な顔をしていた。

 

このような素敵な生産者の皆さんと一緒に関わり合いを持ちながら仕事できることは素晴らしいと思う。

 

さ~。また明日から引き続き1年間頑張って、鉢物の卸しとして、生産者としての経験を積み、私自身も元気な姿で、皆さんとの再会することを誓い、一足先に帰路につかせていただいた。

JFグループの皆さん。生産者の皆さん。お世話になりました。ありがとうございました。

 

今日は連休最終日。といっても私たちの業種に祝日は関係なく、いつもと同じように流れていく。

 

輸入植物の方も、先日のスペインからのオリーブなど植え込みや設置を無事終えることができ、後は樹勢の回復を待つばかりである。

 

そんな植物たちに、真夏の日差しが降り注がれている。

 

入荷したばかりの植物には少しきつい日差しになるので、遮光をしながらの管理になる。

 

そのような中、この日差しを大喜びするかのように、新しい葉を展開し始めているのは春に来たオーストラリアの植物たちである。

 

まずはボトルツリー。新しい芽が出るのに、個体差はあったが、順次芽を吹かせてきた。

 

 

当然ながら4月に植え込んだ際には、全く坊主であったが、このような感じまで葉が出てきました。

 

続いて、グラスツリー(ブラックボーイ)グラウカ

 

 

葉色もグラウカ特有のシルバー色がしっかり出てきていて順調に葉も伸ばしてきている。

この葉色を見ていると、やはり他のグラスツリーとは一線を画し、存在感がある。

やはりこの種で一番人気があることがうなずける。

 

今、この子たちが育ったオーストラリアは冬。特に今年の寒さはきびしいらしく、氷点下になっているよう。そんな冬を迎えず日本に来ているこの子たちは、喜んでいるのか悲しんでいるのかは、わかりませんが~~。

フローリスト8月号に、私たちの輸入植物の取り組みを掲載していただけた。

 

 

私の写真は、準備もしていなかったため、いつも通りの姿が写っています。記事には関係ないけど・・・。

 

是非是非皆様、購入して読んでくださいね~~。

ローズガーデンでも売っていますよ。よろしくお願いいたします。