四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

今日、6月2日はローズ(バラ)の日ということらしい。

何故ローズの日になったのかをネットで調べてみると、「6=ロー・2=ズ」で、「ローズ」の語呂合わせであるのと、この時期はバラが美しく咲くからということからも、日本記念日協会に正式に認定、登録された記念日とのことである。

 

せっかくローズ(バラ)の日なので、何故私たちの会社名が「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」であるのか?について少し触れたいと思う。

 

 

最近の私たちや又右衛門の活動をみると、私たちは花き園芸の仲卸会社や輸入植物を扱う会社であると思っていらっしゃる方も多いかと思う。
もともとは、明治初期に初代金岡又右衛門が園芸に深く関わり、そして薔薇の生産を行ったことから「薔薇園植物場」という屋号で活動をさせていただいたのが始まりである。

 

 

大正時代には、業界ではいち早く輸出や通販を始めており、二代目のパワフルな活動には今更ながらに驚かされる。そして学生時代には何級も飛び級で学年を上がった二代目はハイカラであったのか、「ROSEGARDEN」という屋号でも活動をしていた。

 

その後、宝塚では薔薇の生産が思うように拡げられなかったために、半分を岐阜に移し、今の岐阜が日本を代表する薔薇の生産になる礎を築いたようである。今でも岐阜に行くと多くの方々に当時のことを教えていただける。
またもう半分を山梨の甲府に移し、現在のコマツガーデンさんの創業者の方々と薔薇生産に取り組んだ。

今は、後藤みどりさんをはじめ多くの方がご活躍されていることを二代目も天国で喜んでいてくれると思う。

 

そのようなことから、三代目、四代目と薔薇園植物場という屋号を引継ぎ、気がつけば今年で創業140周年を迎えることになった。
三代目の時代には、はじめは薔薇の生産に関わっていたが、しばらくして薔薇の生産から離れ、国内での通販や造園、量販店においての小売り事業を行なってきた。

 

 

そして私、四代目は、園芸小売りから生花加工業、仲卸を始め、現在があるのである。

私の時代になると薔薇の生産からはかなり離れてしまった。

 

ある時、薔薇の生産を行っていないのに「薔薇園植物場」という屋号は分かりにくいし誤解を招きやすいということから、社名の変更を提案したのだが、先代に烈火のごとく怒られたのを記憶している。

今になっては私も、変えていなくてよかったのであろうと思っている。

ということで今も「薔薇園植物場/ローズガーデン(バラエングループ)」という名前で活動しているのである。

 

そんな私が壁にぶち当たりくじけそうになった時にいつも思いうかべる先々代のメッセージがあるので、それをここで書かせていただき、私のローズ(バラ)の日のメッセージにしたいと思う。

 

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文化は国防の一翼

 

現存の諸事情は國民の物質的生活の縮小を餘儀なくして居る。勿論我々はどこまでもこれに堪へてゆかねばならぬ。

然し乍ら物に於いて貧しくなるからといつて心までも貧しくすることは世界をリードする大國民らしくない。 尚の事聖業達成に今後幾十星霜人を追ひ詰めるべきではない何處かに餘裕を残して置くべきであらう。國民的基礎の上に立つ生産的な文化政策、健全なる娯楽の必要は今日痛切である。

(中略)

漸く我が園藝界が世界の水準に到達したやさき、 公の為に水準低下などとは斷じてなし得べき事ではなく、益々優秀品の生産に新種の作出に無報酬の努力こそ今日我々に課せられた公榮有る職域奉公と信ずるわれわれには父祖の残した偉大なる歴史を繼承し、更にこれを發展させて次代の日本國民へ譲り渡すべき重大な責務が有る。

 

一億一心持ち場持ち場の御奉公、やがては我園藝界が世界の最高水準となり得ることをここに御約束して置きませう。

 

金岡喜蔵 (二代目 金岡又右衛門)

 

年号 昭和16発行 バラエン植物目録 第三百七十六號(376号)より転載

 

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今日は「国際生物多様性の日」である。

私は今まで数十か国を訪れ、そこに住み暮らす人びとや動物たち、植物たちと多く出逢ってきた。

動植物やその他の生き物には全て特徴があり、それぞれに魅力がいっぱいである。

そしてそれらは与えられた環境で互いを尊重し、長い時間をゆっくり共に過ごしてきたのだろうと感じる。

そのことを特に植物などの変遷から感じることができる。

ジャングルや深い森では数千年単位で時が刻まれていることを感じる。

生物多様性を置き去りにし、そこに人類の手が入り、文明という大義名分で開発がすすめられて急速に変化が起こり、多くのものが失われているのではないかと思う。

これらの植物はオーストラリアの深い山に自生している。

3年で1cm伸びると言われている。300年でも100cmしか伸びないのである。

でも私たちの街を300年前に巻き戻すととんでもない変化があるのではないだろうか?

自分たちのスピードではなく、他の生物と同じスピードで歩み進んでいくことを考えなければ、振り返ればそこには人以外の生物はいなくなっているかもしれないのではないだろうか。

 

私たちは他の生物と共に地球を分かち合い、助け合って生きている。

自分たちの便利さを追求しすぎずに、生かされていることを認識しなければならない。

ここ最近、取り組んでいる内容や様々なプロジェクトに忙殺される日々のせいで、ブログやFacebookへのアップができずにいる。

もちろん筆不精?キーボード無精の言い訳とも言えるかもしれないが・・・

そんなこんなでアップできるものが少なかったが、今日は少し。

 

さて、今日3月14日はホワイトデーである。

ホワイトと言えば白。白と言えばハク。ハクと言えば我が家の一員である。

 

このハクと出会ったのは、9年前である。

翌日にオープンを控えた食品スーパーの準備の応援に行っていた時に、どこからか子猫の鳴き声が聞こえてきた。店の方とその声の主を探すも中々見つけることができずに、引き続き作業をしていたところ、陳列什器の奥から聞こえてきていることがわかり、みんなで助け出そうとするも、多くの人に囲まれてしまったためか什器の奥に入り込んでしまい、子猫を連れ出すことができずにいた。

 

そのような時に、オープンのために来ていた内装業のスタッフが、人が入れるのか?と思うような隙間から見事に真っ白の子猫を救出して、皆が歓喜の声をあげたのだった。

そして一同が良かった良かったと胸を撫でおろし、遅くまでかかったオープンの準備を終えて、そろそろ帰ろうとした時にバックヤードから戻ってきたスタッフが、私に「さっきの子猫ちゃんが・・・。」と話をはじめた。詳しく聞いてみると、お店の近くで生まれた野良猫ちゃんたちのうち1匹がエサを欲しさに紛れ込んでしまったようであるとのことだった。

食品スーパーなので、「仕方がないが保健所に引き渡すしかないかな」と相談をしていたらしく、それは何とかしたいという思いから、スタッフがそこで「うちの社長はネコが大好きで・・・」ということを切り出してしまったとのこと。

そして気がつけば、私の助手席にはガサガサと音を立てながら小さな段ボール箱に入った同乗者が乗っていた。

しかし私は、オープンの準備を終え帰社しなければならないにも関わらず、その場から車を出すことができずにいた。

「本当にこの子を連れて帰っていいのか?」みんなが帰った隙に箱から出して逃がせば、「生まれ育った地に戻れる。」「親や仲間と再会できるのではないか?」しかし再びお店に紛れ込んでしまうと、この子は保健所にいかなければならない。万が一紛れ込まなかったとしても交通量が多い道路に面した駐車場は危険がいっぱいで、そう長くは生きてはいけないであろうということなど、様々なことが頭の中で堂々巡りをして、この子にとって一番のしあわせは何だろう・・・と答えが出せずに数時間が経ってしまった。

 

ただ、数時間経ってもその答えを導き出せず、最終的にとりあえずこの場は危険だから帰る途中の近くの公園に放すのもいいかもと自分に言い聞かせてスーパーの駐車場を後にした。

 

 

そして気がつけば9年経った今、ここにいてくれる。

 

 

 

あんなにも小さく真っ白であった子猫が、薄茶色の耳に、曲がったしっぽ。

手のひらに乗るような子猫が今は約8kgまでになっている。育ち過ぎである。

 

その他の子たちよりもひとまわりもふたまわりも大きくなったこの子が、しあわせ太りであってくれたら嬉しいと思うのは、きっと我が家で暮らしたことが、この子にとって一番のしあわせであったはずだと、当時の思いに無理矢理答えを出したがっているのかもしれない。

確実に言えるのは、このハクが来てくれてしあわせな時間を共有出来ていることである。

 

今でもたまに布団の上で粗相をするハク。

トイレに入るとついてきて蛇口から水を飲むハク。

黒いパンツを穿くと必ずと言っていいほどすり寄って毛だらけにするハク。

 

 

いちばんおっとりしているためにいつもみんなに先を越されてエサが少ないハク。でもしっかりこんなにも大きく育ってくれて本当に嬉しく思う。ただただ願うのは一日でも、一時間でも長く、一緒にいてくれること。

そんなことを彼の寝姿をみてつくづくと感じたホワイトデーであった。

まだまだ他にもお世話になっている白(ハク)がいるが、このことはいつまでも話すことはできないかもしれない。そんなかけがえのないハクたちに心より感謝である。

今年も恒例の「えべっさん(西宮戎)」へ、社員有志で参拝させていただいた。

ただ例年は夕方もしくは日が落ちた頃に参拝をしているが、今回は久しぶりに昼間、それも正午ぐらいの参拝となった。

私は40年以上「えべっさん」に参拝しているが、お昼間に行った記憶があるのは10年前ぐらいにおこった悲劇の時ぐらいである。
どのような悲劇があったかいうと・・・その年は例年のように「本えびす(1月10日)」の夜に「えべっさん」を参拝し、飾り物である「さらえ」などの吉兆を授かり本社にて管理していたものが、次の朝には恐らく落ちたか何かの衝撃で「さらえ」に飾られている大きな面が真っ二つに割れていたのだ。その時にこれは不吉、今日からの1年間思いやられると強く感じ、慌てて買い直しに行った・・・ということを記憶している。

そのようなことがあったため、現在では買い直しができない「残りえびす(1月11日)」はできるだけ参拝をしないのが暗黙の了解になっている。さらに業務の都合から日・火・木曜日は翌日が早朝出勤のため避けるようにしている。そうなると今年の場合、候補日は10日ということになる。

ただ今年は令和になって初めての「えべっさん」。それも10日の「本えびす」であり金曜日も重なり、夜は想像がつかないぐらいの混雑と予想し、今年は例年とは違い昼間の参拝となったというわけである。

というわけで、私たちはお返しする縁起物である吉兆やお札を持参し、午前中に大阪営業所を出発。予想通り車の混雑は少なめで、夜によくある入場規制もなく、すんなりと鳥居と赤門をくぐることができた。

境内の順路はいつもより空いていたためスムーズに進めたが、お清めの手水舎は例年以上に渋滞、お札や福笹を買うところも例年の夜より混んでいて思いのほか時間がかかった。
あくまでも私の想像だが、立ち並ぶ夜店が楽しみであろう学生や子どもたちが昼は学校に行っていてほとんどいないため境内は空いていたが、本えびすに参拝する企業の代表などは商売繁盛などの祈願をが主目的であり、参拝作法を重んじる人が多いため、手水舎や摂社が混んでいたように思っている。

そのようなことを思いながら自分たちも手水舎で清め、お札を授かり、本殿を参拝させていただいた。そして警備の方々に促されるように順路を進むことにした。

そして例年お世話になっている吉兆店にて、1年ぶりの再会を喜び合って、お土産物を渡し合った。

近年、縁起物である吉兆も、お面や俵といったトラディショナルなものの他に、可愛らしい招き猫を飾ったものなどが増えてきている。以前に投稿した私のブログをみていただければわかるが、ネコ好きの私は毎年のようにネコが飾られたものを1つは買っており、今年も1つと選んでいたら、社員の一人の「今年は子(ねずみ)年なのに・・・」という言葉にすごく納得してしまい、今年は比較的トラディショナルなもので本社用、営業所用などいくつかを選んだ。

そして多くの縁起物を授かり、吉兆店の方々と私たちとで大きな威勢のいい掛け声で手を打ち、互いが良き1年間になることを願い、次の神楽殿にて縁起物を祈祷していただいた。

そして順路を進むとスタッフの好物であるワカサギのから揚げがあり、皆が購入しているうちに、私は一足先に順路を進んだ。

しばらく歩くと、これまたお馴染みのお化け屋敷などの見世物小屋が見えてくる。最近デジタルアートで著名なチームラボさんたちとお仕事をさせていただく機会があり、最先端の素晴らしい演出に触れることが多くなってきた中、このようなアナログの見世物小屋の楽しさに興味をひかれた。たださすがに真っ昼間の明るい時には、怖さより愉快さを感じることになったが・・・・

そして「荒えびす」を参拝後、スタッフが追いついてくるのを少し待っている間、本当に多くの人びとが私の前を通り過ぎていった。

しばらくして合流することができ、いったん車に戻って縁起物などを置いて、少しだけ露店を楽しむことにした。
私はお決まりのケバブ屋さん訪問。私の見た目が原因なのか、いつもなぜか他のお客さんから店員に間違えられるのだが、今回は空いていたためか声をかけられることがなかった。
しばし楽しませてもらって再び集合し、大阪営業所に戻り、神棚にお札を祀り、縁起物を飾った。

その後、本社でも同様にお札を祀り、縁起物を飾ったのだが、その時にあることにふと気づいた。よくあるタイプのものであるが例年とは少し違う。お判りでしょうか?写真を良く見ていただければわかると思うのでアップを・・・・

いかがですか?わかりますか?
縁起物の飾り物でよく使われる俵が今までと違う!普通はナチュラルな青刈りの藁、もしくは金色に輝く俵かと思うが、何とこの俵はみどり!それも輝く緑色である。多くの中から候補を出し、最後にスタッフが選んでくれた。何ともGoodチョイスである。

私は今年の年賀状では「HAPPY GREEN YEAR」と述べ、最近の講演でも「これからは金より輝く色は緑」と言ってきただけに、今までにないぐらいにテンションは高くなり、今年一年を力強く歩めそうな気がした。

 

そしてその翌日にはバラエンの新年会を開催し、忙しい中、多くのスタッフが集まってくれた。ただ年末を走り切った疲れからか年明けに体調を崩すスタッフもいて、全員集合とはいえなかったが、本当にありがたいことであった。

宴会中は、普段見ることができない表情や生き生きとした表情で話すスタッフの顔を見ることができ、しあわせな時間を過ごすことができた。

そんな時間は経つのが早く、終了後に参加者で写真を撮り、私は次の予定もあるため、頼もしい愉快なみんなの背中を見送らせていただくことにした。

そして今、このブログを書きながら、その時の写真を見ていると色んなことが頭の中を駆け巡る。数名で始めた卸事業が写真のような顔ぶれで一緒に歩むことができている。またこの写真には登場していない参加できなかったスタッフ。また他事業部の人たち。さらに写真を撮ってくれた人。みんなかけがえのない素敵な人たちである。そんなみんなと今年も活動できることを本当に嬉しく思う。

さらにみんなの顔を見ていると昨日の「えべっさん」の1シーンがフラッシュバックしてくる。それは先ほど書かせていただいたが、私が「荒えびす」でみんなを待っている時のことである。正直、再合流するまで、少し時間があったため不安であった。
ひょっとしてはぐれてしまったのかも?私が待ち合わせをする場所を間違えたか?きちんと場所を伝えられなかったのか?などを少しの間でも不安であった。

それはまるで今までの私の歩み方を見つめ直すためであったかもしれない。きちんと伝えることの大切さ、一人で先に歩くということはどういうことか?を思わせてくれた。それでもきちんとついてきてくれるかけがえのないパートナーがいて、顔を見ることができる喜びに感謝を。

世界中で活動する数えきれない多くの人がいる中、今のパートナーと巡り合えた恵まれた縁に本当に感謝である。

さ~来年は、どんな写真を撮ることができるだろうかとても楽しみである。

今年の元旦も例年と同じく早朝に目を覚まし、まずは自宅の神棚をお祀りさせていただき、ほぼ真っ暗の中、慣れない車で自宅を出発した。
何故慣れない車かというと大晦日の夕方、大阪営業所を出発し、今年最後の本社へ向かう途中で、何と愛車が故障し、そのままレッカーで運ばれていくことになってしまい、結局レンタカーで年を越すというハプニングがあったからである。

そのようなことがありながらも無事新年を迎えることができている御礼を伝えに、収穫したばかりの「大和橘」を持参し、氏神様である山本東の宮 松尾神社を参拝した。そして境内にある猿田彦様に昨年も色々な道を拓いていただけた感謝を、薬師如来様では健康であることの感謝をお伝えした。

松尾神社の後、西の宮である天満神社、隣接の稲荷社を参拝した頃には、随分空も明るくなってきて、予報より温かく感じる夜明けを迎えた。

そして本社の神棚をお祀りさせていただいた後、空いている通勤路を走り、大阪営業所へと向かった。
到着すると、まず事務所と仲卸売り場に新年の澄んだ空気を招き入れ、神棚のお祀りをさせていただいた。

そして大阪営業所の氏神様である春日神社、各摂社を参拝。タイミングよく宮司様にご挨拶することもでき、幸先のいい出足となった。

再び営業所に戻り、年始特有のひっそりとしたJF兵庫県生花(梅田生花・大阪植物取引所)の中心に腰を下ろし、大和橘とお神酒を供えながら、土地の神様に昨年1年間の感謝を伝えていた。

ちょうど1年前の元旦は、年末に今までなかったような挫折を感じる出来事があり迎えた元旦であった。そこからの1年間で気持ちの切り替え、新しいことにチャレンジ出来たか?成長できたか?を思い返してみた。その検証については、次の機会に「MATAEMON’s Annual Report」として報告させていただくが、多くの素敵なご縁に恵まれ、振り返っている時間などなく、しっかり前に進めたように思う。また今まで長年お世話になった団体から離れ、新天地にむかうことにもなったが、それもまた前に進むためのものであり、自らを成長させるためのものであると受け止めている。



そして最後に、この先に控えた大切なプロジェクトへの想いを告げ、お神酒を「又」の字に撒かせていただき、本社に戻ることにした。

春には新しい会社がバラエングループに加わり、新しいメンバーと共に活動が始まる。また東京五輪に関わるプロジェクトやテーマパークなど楽しみな案件が控えている。さらに年々「みどり」の必要性が高まってきているのを感じられている。やりがいが多い取り組みが満載である。

創業140周年を迎える今年も、かけがえのないパートナーたちとともに全ての力を一つにして、国境を越え、業界の枠を越えて頑張っていきたいと思っています。どうぞ引き続きご指導ご協力いただきますよう何卒よろしくお願いいたします。

さ~~~いくぞ~~!みどりの時代の到来だ!!!

謹んで新年のご祝辞を申し上げます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。
大変多くの皆様から素敵なご縁を頂戴することができ、多くを学ばせていただくことができた一年となりました。

 

2020年。バラエンはおかげさまで創業140周年を迎えます。
これもひとえに皆様方の支えがあってのことでございます。心より感謝申し上げます。

 

私、四代目 金岡又右衛門は、引き続き皆様との出逢い、授かったご縁を大切にして、国内外のかけがえのないパートナーとともに、大地や植物、様々な立場の人からのメッセージをより広く伝えていくために活動をしてまいります。

 

そしてさらに伝統や歴史に学びながら、今まで培ってきたものを最大限に活かし、花き業界の発展と植物の健やかな成長のために尽くすことで、更なる上のステージをめざしていきたいと思っております。

 

つきましては変わらぬお引き立てとご指導ご鞭撻賜りますよう、よろしくお願いいたします。

皆様が健康であり素敵な1年となりますこと心よりお祈り申し上げます。

 

バラエングループ代表 四代目 金岡又右衛門(金岡信康)

2019.12.31

大晦日

例年通り30日は大掃除。私の役割は神棚のお掃除である。1年間の感謝を伝えながら、心静かに祀らせていただいた。そしてその後スタッフと手分けし会社のしめ縄や鏡餅を飾った。

 

そして大晦日の今日は、事務所の机から、年末商戦を見事に戦い抜いたスタッフの背中をみながら、1年間を振り返りこのブログを書いている。

 

今年1年も飛行機に約100回乗るほど、いろんな国を巡り、いろんな人や植物との出逢いがあった。そしてそのどれもが鮮明に頭の中に残っている。しかし一番明確に残っているものは、どれだけ遠い国でもなく、どれだけの絶景でもなく、観たことのない珍しい植物でもなく、一番近くにいるかけがえのないスタッフの姿である。

 

今年の夏、新年度を迎えるにあたり、組織体制の変更を行い、社内向けに経営計画および会社方針説明会を開催した。そして社員ひとりひとり全員の面談をおこない、直接多くの意見を聞かせてもらうことができた。当然ながら厳しい意見もあったが、その多くが会社がより良くなるための言葉であり、とても貴重な私へ思いでもあった。

 

中には表現がうまくできない人もいたが、それぞれの言葉や表情で、今まで私が足りなかったことを教えてくれた。本当にありがたいことである。

 

そして夏以降、新体制のもと、それぞれが問題意識を持ちながら臨んでくれている。中には今までと違った役割になり、毎日大変な思いをしているスタッフもいるだろうが私の前では元気に取り組んでくれている。その逞しい力に、私も大いに励まされている。

 

そのような本年の業務を終えたスタッフが順次帰っていく。全てのスタッフを見送ることはできなかったが、昨年以上に頼もしくなった背中を眺めながら、あらためて感謝の気持ちでいっぱいである。

 

来年2020年。私たちは140周年の節目を迎えることになる。そしていくつかの大事なプロジェクトも予定されている。

今年、達成できなかったことを教訓として、さらに想いを強くして取り組んでいきたいと思う。来年も多くの地に触れ、人に触れ、植物に触れることでたくさん学び、より多くの人に「みどり」の素晴らしさと、植物から預かったメッセージを届けていきたいと思っています。

 

 

最後になりますが、今年も私の拙いブログを読み続けていただけた皆様、本当にありがとうございました。

 

来年も、めげずに書き続けたいと思っておりますので何卒よろしくお願いいたします。

 

さ~2020年。東京五輪に負けないぐらい、エキサイティングであり、セクシーな取り組みができる『バラエン140周年』にするために前へ前へと向かっていきます!!!

それでは良いお年を!!!!!

 

四代目 金岡又右衛門

 

2019.10.19

山本秋祭り

昨日の宵宮、今日の本宮と恒例の祭事が雨の中執り行われた。毎年であれば私も宵宮から参加であるが、少し無理が祟ったのか体調を崩し、市民病院はじめ4つの病院5つの科で受診・検査を余儀なくされ、激しい運動を控えるようにとのことから宵宮は不参加となってしまった。

意識が微妙な中早朝起床。6時30分に西の宮である天満神社に集合した。そこには又右衛門のことを「船長」といって慕ってくれるいつもの若い衆の姿があり、再会を喜び合った。

ただ朝から天候がすぐれず、予報も雨とのことで、通常であれば西の宮のだんじりを東の宮(松尾神社)まで曳航して2台で山本のまちを周るのであるが、安全面などいろいろなことを考慮し、西の宮のだんじりは神事を終えたのち、境内にてお清めを行い、再び蔵入りとなった。

そして一行は業界のことや仕事や家族のことなど色んな話をしながら東の宮まで移動。若い衆を中心に蔵からだんじりを出させていただいた。

そして山本の顔役の重鎮に挨拶をし、写真を撮らせていただいた。さらに園芸に関わる多くの人との再会でしばし歓談、楽しい時間を過ごさせていただいた。

しばらくすると恒例になっている地元幼稚園児たちが到着。だんじりに触れてもらい、記念写真も撮った。地元の祭事に触れてもらえる貴重な機会で、園児もこの日をとても楽しみにしてくれている。是非いつまでも続くものにしていきたい。

そしてその後雨の中、元気な掛け声とともに松尾神社を出発し曳航をはじめた。又右衛門も若手に紛れて定位置である左後方から押させていただいた。

その姿は最近話題になっているラグビーのスクラムのようである。この姿に触発され、なんちゃってラガーマンでもあった又右衛門は更に押す力が増していった。

そして声や気をあわせて山本のまちを曳航し、御旅所で美味しい食事をいただき、更に曳航を続ける。

その後山本園芸流通センターにて山本丸橋のだんじり、地車保存会の方々と合流、しばし交流を図らせていただいた。

 

その後、つながって山本のまちを曳航し、自治会長の御旅所でさらに交流を深めて、それぞれの順路に進んでいくことになった。

山本のだんじりは、引き続き曳航し、正午前に会館に到着。だんじりはグリスアップ。私たちは昼食をいただき、小一時間身体を休ませた。

休みを終えて再び曳航し、西の宮に到着。ここであらためて西の宮のだんじりを蔵から出して、2台のだんじりの顔を合わせることができた。そして御旅所にて食事をいただき、再び国道など山本のまちを周らせていただいた。時折きつく降る雨にさらされ身体は冷えるが、それにも勝る活気で寒さを跳ね飛ばすことができ、これぞ祭り、という感じを得ることができた。

その後も山本のまちを曳航しながら、夕刻 東の宮(松尾神社)に到着した。そこで色んなことを考慮されたのか、夜の曳航は中止となり、私も役割を終えたので帰ることにした。

そして今日一日一緒に頑張った若い衆にまた来年会おうと約束し、お土産に「又右衛門缶バッチ」をプレゼントして、とっても喜んでもらった。

今年も重鎮や彼ら若い衆と一緒に過ごした1日は私にとって素敵な時間となった。是非また来年も一回り逞しくなった青年たちと一緒に活動できることを願っている。

そして、彼らが世界へ向け旅立てる人物になる後押しができればと思っている。まだまだ楽しみが残っている。

そして最後にこのように今年も神事に関わらせていただいたことに深く感謝である。朝一番では正直一日一緒に歩くことすら叶わないかもと思っていた体調であったが、だんじりの後方から肩を入れて押しているうちに、体調不良は筋肉痛へと変わっていき、自然の雨に清められたおかげか、悪化どころか快方へと向かうことができた。神様に本当に感謝である。

氏神様。今年一年も頑張ってまいりますので山本のまちをお守りいただけますよう・・・・・

今日は箕面 一知里邸 ギャラリーにて開催された、フローリストKAZU主催フラワーアレンジメント コンテストにお招きをいただいたので、観させていただいてきました。

今回のテーマは「ジャポニズム」。大変素敵な作品が多く出展されていました。

素敵な作品がとても多くありましたが、私は皆さんから撮影の許可をいただいていませんでしたのでここでは控えさせていただきます。ただかわしま先生や生徒の方々や関係者の皆様方はFacebookなどでいっぱいアップされるかと思いますので是非ご堪能ください。

確かに魅力的な作品は多くありましたが、私には、何よりも素晴らしい作品は、先生と生徒、多くのパートナーと創り上げたこの空間。そしてその絆だと感じました!

ですので、このアップでは私と先生をいっぱいあげさせていただこうかと。

実は、かわしま先生と初めて出会ったのは、数条年前。八尾にある夜市の花市場でのフラワーアレンジメントの講習会です。

その時、連続で行われた講習会に参加させていただき、先生に直接、教えていただきました。そして、まだたったの数回しか教えてもらっていない小僧の私が、生意気にもかわしま先生に「先生。どうでしょうか?」と尋ねたところ、先生は、「そこそこできていますよ!」と褒めてくださいました。

ただ私はその「そこそこ」という言葉で、自分はこの道では大きく飛躍することはできないと感じ、先生に「フラワーアレンジメントは、やはり私には可能性がないと思います。ですので私は、フラワーアレンジメントをされる方の支援や、多くの先生方と一緒に新しいことを始められる人になることをめざします!」と偉そうなことを言ったのを、

今でも覚えています。本当に失礼いたしました。

 

そしてフラワーアレンジメントは横目で見ながら、先生の送り役を担当し、色んなお話をさせていただくことができました。そうすると先生と私の叔父がお仕事で繋がりがあったことがわかり、縁の不思議さに驚かされました。

こんな不思議な生徒かもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

そしていつまでもみんなの素敵な先生でいてくれますこと心より願っています。

 

また生徒の皆様。パートナーの皆様。素敵な空間をありがとうございました‼️

 

こんな又右衛門を素敵に見えるように写真を撮っていただいた作道さま。本当にありがとうございました。遠慮なく使わせていただきます!

今日から三日間は「えべっさん」そして9日の今日は宵えびすである。

 

私は会社の有志と毎年西宮戎神社に参拝をさせていただいている。これは私が小さな頃からほぼ毎年続いている行事である。

今年は宵えびす。それも少し早めの時間での参拝のため、大きな混雑もなく参拝をさせていただくことができた。

そして毎年お世話になっている吉兆店「福留」さんで縁起物を買わせていただき、みんなで手を打ち双方の発展を祈願させていただいた。

 

さらにルーティーンとも言える御神楽で商売繁盛祈願をし、最後に荒えびすさんを参拝して、今年も無事に「えべっさん」参拝を滞りなく終えることができた。

その後はみんなそれぞれ自由行動でいろんなお店を周ることにした。ただその中は今のAIなどの登場による社会の進み具合とはかけ離れている。毎年変わらない「お化け屋敷」や「スマートボール」などの見世物小屋や、少しの種類の変化はあるものの「たこ焼き」「リンゴあめ」「とうもろこし」などの昔からのお店が立ち並び、多くの人でにぎわっている。私はその数十年前と変わらぬ光景をみながら、多くのことを考えさせられた。

また昔と変わらぬ光景を見ながら、多くの人が行き交い、流れていく雑踏の中に自らの身を置くと、まるで人生を早送りでみていて、変われていない自分があるようで、少し焦りさえ感じた。

でも振り返ると一緒に笑顔で歩んでくれている仲間がいてくれる。決して一人で遅れているのではなく、一歩一歩を大切に歩んでくれる仲間が・・・・

 

これこそが何よりものご利益であろう。「えべっさん」本当にありがとうございます。