四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2014.08.31

モンゴル訪問記 あとがき

私が10年前にモンゴルにおいてミッションを行おうと思ったのは、急速な経済成長を遂げ、貧富の差が拡がり、そのことによってマンホールチルドレンとよばれる家族との絆を失った厳しい生活環境を強いられている子供たちが増え、またスリなどの犯罪も増えてきた都市(まち)ウランバートルと、少し市内から外れた草原においては、電気、水道、ガスなどもないが、厳しい自然や動物と共存しながら、家族が深い絆で結ばれた遊牧民の生活がある。まさに物が豊かでありながらも、心貧しき生活と物は無くとも心豊かな生活この両者を自分の目で見て感じることで、私たち日本人が忘れ去ってきた人として大事なものを呼び起こすきっかけになるのではないかと考えたからである。

 

さらに普段の生活から離れ、実際にこのモンゴルの地に身を置き、恵まれた普段とは違う生活をしながら、ボランティアで学校建設や農作業などを、子供たちと一緒に汗を流しながら行うことで、今までと違う自分を発見し、人のため社会のために、自らの力を発揮することのすばらしさに気づき、周囲を思いやる気持ちを抱くことによって「逞しい人間力」を育むことはできるのではないかと思ったからである。

 

注:写真は10年前の風景です。

 

 

そしてその実施、建設から10周年を迎え、当時の子供たちが作った施設は有効利用されているだろうかなど検証の意味もふまえて、私は久しぶりにこの街と遊牧民の生活に触れてみるために今回の訪問に至ったのであった。

 

今回はたった数日間の滞在であったが、当時多くの皆さんの協力と援助を受け、地元の子供たちやボランティアの皆さんと作った施設が今もなお受けつがれ、さらに発展していることが確認できた。

またそれと同時に、この都市の当時と変わらない、良きところ悪しきところ、当時と変わった良きところ、悪しきところを垣間見ることができたような気がした。

 そしてこの訪問の終盤に、都市を一望できるザイサンの丘にのぼり、10年前の風景と重ね合わせて都市を眺めていた。

 

 

 

これが10年前にみたザイサンの丘からの風景である。

 

そしてこれが今の風景である。

 

 

10年経ってこの地に立つと、いろんなところが変わってきているのに気付いた。

 

都市には多くのビルが建設され、小高い丘には住居がひしめき合っている。このザイサンの丘のふもとにも、視界を遮るかのような商業施設や、購入には1億円をはるかに超える高級住宅街が建築ラッシュを迎えている。

 

市街地は高級車が多く走り、スーパーブランドの出店やホテルや飲食店、スーパーマーケットも多くできて、都市化が進んでいる。

 

 

そのためか恒常的な交通渋滞や環境汚染も以前より深刻になってきているのもわかる。恐らく貧富の差も広がっているのではないかと思う。

 

私は、近代化が進むことには良いところは多くあるが、それでも必ず守らなければならない自然や風土、景観がある。私はこの都市がもっと近代化が進んだ時に、きっと失われたものの尊さに気づき、後悔をするのではないかと思う。そうならないためにも古き良きモンゴルの自然、文化を守っていってほしいと切に思った。

 

 

そして最後に私がモンゴル遊牧民の生活において気づかされたことなどを書かせていただき、長々続いたモンゴル訪問記を締めさせていただきたい。

 

モンゴルの草原で暮らす遊牧民には、学校や病院、警察もない。さらに厳しい大自然の中での生活でありながらも、周りの人に囲まれ、笑顔を絶やさないお年寄りの姿がある。
それに比べ日本では、街にはバリアフリーが多く導入され、デイケアなどの老人介護施設が多く建設されているものの、街での生活に不自由しているお年寄りが多くいる。

 

これは何が違うのだろうか?

 

私には今の日本は、お金をかけ、設備や施設を用意し、それでことを終えたような気がしている人が多くいるのではないか、それで自己満足しているのではないかと感じてならない。

 

私は、物を作り与えるだけではなく、お年寄りを敬い、困った人を助ける、人としての当たり前の心を持ち、互いが思いやりの心をもって生きていかなければならないことをモンゴルの遊牧民から教えられた。

 

そして本当に大切なものは、お金や物ではなく、人を愛する心、愛し続けることできるかということだと思う。

 

 

私自身、今まで目先の欲にとらわれてしまい、道をそれてしまいそうになったこともある。またこれからもそのようなこともあるかもしれない。でもその時に、ここでの学びを思い出して、あらためて自らを見つめ直し、本来の人としてのあるべき姿に立ち戻り、多くの人と手を携えながら生きていかなければならないと確信する。

そして最後に・・・

 

人は文明という偽りの正義の名のもとに、自分たちの都合で地球を破壊していっているのではないだろうか?またそれらが本来は過ちであるということに気づいていながら、その文明の居心地のよさから離れられず、自然をないがしろにし続けているのではないだろうか?

 

私はその警告が、近年の大震災であったり、今回の大島や広島など各地での大水害であったりするのではないかと考える。

 

同じようなことを繰り返されぬように、地球を愛し、自然を愛し、人を愛し続けていく心が必要であり、今こそ人類はそれらを行動として求められているのではないかと感じてならない。

 

 

 

相変わらず稚拙であり、乱文のため、読みづらく、意味も理解しがたいであろうに関わらず、その辺をご理解いただき、最後までお読みいただける皆様の心に感謝いたします。ありがとうございました。