四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2011.09.18

敬老の日に思うこと

みなさん。おはようございます。
敬老の日はいかがお過ごしですか?
といっても私のブログを見ていただいている人は、ほとんどお彼岸やブライダルの仕事が忙しいのでしょうね~。
私は以前、NGO活動でモンゴルへ年間6度ほど行った事があります。
多くの皆さんがモンゴルと言えば連想するものには、広大な草原、ナーダム祭、遊牧民、モンゴル相撲などがあげられ、とても雄大なイメージがあると思います。
確かに素晴らしい自然と文化包まれた国です。
ただ私はこれら以外にも、モンゴルの地で多くの事に気づかされ、そのことを一人でも多くの日本人に伝えたいと思い、様々な皆さんの協力を得て、プロジェクトを組ませていただいたことがあります。
その中でも特に心に刻まれたことは、遊牧民の旅人やお年寄りに対する気持ちでした。
私が始めてモンゴルに到着し、まず遊牧民の住むゲル(移動式の家屋。テントのようなもの)へ挨拶に行こうと思い、一つのゲルにお邪魔しました。でもそこには、鍵もかかっていなく、誰もいなくガランとしていました。
 でも中央のテーブルには、お菓子などの食べ物が置かれており、少し不思議に思い案内してくれた人に、誰もいないのに何故このように食べ物が置いてあるのか?と尋ねると、「あなたのように訪れた人や、迷ってきた人が食べ物に困らないためにおいてある。」ということでした。日本では鍵をかけても、空き巣などの盗難が多い中、ここモンゴルでは見知らぬ旅人のために解放して・・・・・。すごくショックを受けたのを思い出します。
更に、モンゴルの遊牧民の生活では、警察も病院もありません。もちろん老人用の施設など存在する訳がありません。でも遊牧民の生活で、不自由をするお年寄りはほとんどおりませんでした。
 それに比べ日本では、お年寄りや体の不自由な人が生活しやすいように、様々なところで、優先座席やバリヤフリー、訪問介護など多くの費用を投下し、環境整備を行なっています。これはこれで必要なことであり素晴らしいことだとは思います。
でもしかしながら、まだまだお年寄りが不自由な生活をされているのが現状だと思います。
何が違うのでしょうか?
私は決定的な差を感じたのが、お年寄りや目上の人を敬う気持ちでした。
モンゴルではお年寄りは絶対的な存在であるとのことです。日本の優先座席の話をすれば、彼らは笑っていました。
モンゴルでは如何なる場所でもお年寄りに席を譲らないことはありえない。譲らなかったらそれこそ、他人でも叩かれたり、きつく指導されたりすると・・・・・。
本来、お年寄りを敬う気持ちが強ければ、日本ももっと生活はしやすいのでは?
日本は環境整備などを行い、それで満足してはいないか?物を作り自己満足していないか?
 お年寄りや不自由な人に、手を差し伸べる気持ちがあれば、多くの人が不自由をしなくていいのでは?
 本来日本が一番しなければならないのは、物を作るよりも、お年寄りを敬う気持ち、人を思いやる心の大切さを再認識し、この心を醸成していくことではないでしょうか・・・・・