四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2020.08.06

8月6日に想う、平和祈念とは・・・

今日8月6日は広島平和記念日・原爆の日。
先月広島に行った際に案内されて観覧した原爆資料館の光景が頭に浮かんでくる。

写真で見ただけでも目を覆いたくなるような光景。実際に目の当たりにした方々にかけられるような慰めの言葉を見つけることができない、戦争を知らない子どもたちの一人であった私である。

祈念公園で慰霊碑に向かった際に、そこに刻まれていた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」という言葉が胸に刺さっている。

過ち・・・核兵器、戦争がそうであろう。本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
しかし人類が犯した過ちはまだまだ他にもあると思える。

 

人間本位の開発などもそうであると言えるのではないだろうか・・・・・

文明・発展という名の大義名分のもとに繰り返されてきた開発による影響は、今の地球環境や社会現象として各地で顕著に表れている。それをよく知っているのは、実際に経験した先進国と言われている国々ではないだろうか。

にも関わらず新興国に同様の開発を促し、協力しているのを見かけることがある。
是非、日本はそのような国々と競い合うのではなく、まずはその国の文化・自然を守ることを優先するべきだと思う。そして自ら体感した社会問題を二度と繰り返さないようにしなければならないと強く思う。

 

また、毎年この時期には「平和祈念」という言葉をよく耳にするが、私は違和感とまではいかないけれど、少し考えさせられる言葉に感じる。

全ての生き物は必ず平和であって欲しいと思っているのではないだろうか?
それに異議を唱える者はおらず、みんなが同じ方向を見ているはずなので、すぐに実現できるように思う。しかしそれが実現できないのはなぜだろう。

個々がそれぞれに平和について自分都合の勝手な解釈をし、自分自身のみの安全や不自由ない生活のことを平和と思っているからではないだろうか?

 

平和とは全ての生きとし生けるものが等しく健やかに生きていき、天寿を全うできる世の中であると私は理解している。

平和は祈念しなければ実現できないものなのだろうか?互いが思いやりの心を持ってさえいれば実現できるのではないだろうか・・・・・

残念ながら75年前に戻ることはできない。
でも当時のことから目をそらさず向き合い、同じ過ちを繰り返さず万物に対し感謝の念を強く持ち、互いを思いやる心を持つことは、今日、今からでも可能であろう。

それこそが何よりも慰霊になるのではないだろうか・・・・・。