四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ
MATAEMON'S THINKING BLOG
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今日は久しぶりに充実した一日を実感できたように思う。
それは三つの重要なコンテンツである学習、仕事、プライベートで、それぞれに素敵なシーンに出会いができたからだと思う。
まず朝一番の飛行機で東京に向かい、両国へと向かった。
少し早目についたので、国技館前でFB用の写真を撮っていたら、親切な外国人さんが英語のパンフレットのようなものをもってニコリと微笑みかけてくれた。
どうやら私は相撲好きの外国人観光者に見えたらしい・・・。それでもその親切心に触れたときに、とても和やかな気持ちになれた。
そして会場に向かったのだけどその途中で見かけた自転車置き場
さすが建物がひしめき合う都内において土地の有効活用をしているんだなと思う反面、まるでこの急な角度が相撲の立ち合いにも見えて、さすが両国だな~と勝手な想像で一人感心してしまった。(すみません。相変わらず話が飛んでしまった・・・)
で、話を元にもどして今日のはじめの目的であるセミナーに参加するために会場のホテルに入り、来年初めて参加する展示会の取り組み方などを研修し、学ばせていただけた。
その後、渋谷で軽く食事を済ませ、川崎に移動した。
ここには業界内外でアグレッシブに活動し、感性から生み出された空間で多くの人を魅了しているSHOPとOFFICEがあり、私は今回初めての訪問をさせていただいた。
今回の訪問は、先日弊社を訪れていただいたときに、私が留守をしていて、話ができなかったので、今回は私からアポ入れをして訪問させてもらった。
私のような半人前が言うのは厚かましいけど、テーブルを挟んで向き合いながらの少しの対話でも、彼の研ぎ澄まされた感性や行動力などを垣間見ることができ、さすが多くの人に支持され、抜き出ているだけのことはあると率直に思えた。
そしてこれからの互いのビジネスのことなどの話をし、再会を約束して、この地を後にした。
その後今日の宿泊地である関内へと向かった。
関内は有名な中華街があるのだが、それともう一つ今日この時とっても熱いところがある。
それはホテルに隣接している横浜スタジアム。
今日はマジック2を迎えた横浜×巨人の熱戦が繰り広げられている。
実は私は少し前からXデーの予感がしていて、この日のチケットを持っていた。
ホテルに着くや否や、球場に足を運んだ。そして球場についたときには、もう8回の攻防だった。
そしてあと一人でこの試合が終わろうとしているときに、甲子園で阪神の勝利との連絡が入り、その後すぐに巨人が3連覇を成し遂げた。
私は小学校の時には宝塚の選抜選手として対外試合にでたり、甲子園の大会で優勝するチームの副キャプテンを務めさせていただいたりの野球小僧で、かなりのプロ野球好きである。
そんな私の目の前で胴上げが繰り広げられた。私にすればこんな日に、選んだかのようにめぐりあわせるとは運が良いとしか思えなかった。(といっても実は胴上げを目の前で見ることができたのは5度目であるのだが・・・。)
どの球団のファンであるとかどうかは別にして、各球団の選手が一生懸命に頑張り、その努力が報われ歓喜の瞬間を迎えたとき、とても大きな感動を伴う。そんな瞬間を目の前で見ることができ、その空間を共有できたことをとても幸せに思えた。
そしてそれと同時に、良い結果がでるには、それなりの理由があることはスポーツであってもビジネスであっても同じであることを改めて学ばせてもらえたような気がした。
そんな多くの学び、人、感動に出逢えたとても充実した一日になった。
さ~明日からまた新しい感動に出逢えるように頑張っていこう。そのためにも今晩は夢を膨らませ、幸せに包まれながら気持ちよく眠ることにしよう・・・
みなさん。おやすみなさい。
昨日からうちの会社に研修生がやってきた。今回はあるお世話になっている先生からの依頼であった。弊社はまだまだ準備をしていただかなければならない状況であったので、今回はインターンシップという形になった。
見た目、線が細く、最近でいうイケメン君である。
彼がこれから植物と一緒にどのように成長するか、とても楽しみである。
ともあれ新天地で芽吹こうとしている若い芽を大事にしていきたいものだ。
そして同時に私も彼からも学び、一緒に成長していかなければならないと思う。
また皆さんに彼のことを、胸を張って紹介できる日が来ることを楽しみにしておこう。
またブログの更新に時間がかかってしまった。決して毎日ボーっと過ごしているわけでもなく、むしろその逆かもしれない。
ただ結構面白いことなどあったのだけどアップがまだできない内容とかも多くて・・・
(半分は言い訳かもですが・・・)
それも、ブログをがっつり書こうかと思うからかもしれない。というわけで、簡単なアップを・・・(笑)
今日は、朝から兵庫の山奥へと向かった。
その途中田んぼのあぜ道で見つけた彼岸花たち。
周りの黄金色に実った田畑を祝福するかのように、真っ赤に咲いていた。
そして、秋を十分に感じながら、市街に戻ってきて見つけた彼岸花。
このふたつの彼岸花の色や大きさなど、一つ一つを見比べても、何ら違いは無いのだけど、私にはとても対照的に感じた。
街中の少しの土でも、咲いている彼岸花が、私たちに昔の自然豊かな風景を取り戻してほしいと一生懸命訴えかけている悲願の花に感じるのは私だけであろうか・・・
モンゴルより帰国し、今週の週初めから東北方面へと向かった。初日1日は、午後大阪を出て、夕方仙台へと到着した。
仙台では、10年来のパートナーである矢野TEA氏と、今後についての打ち合わせや、海外事業についてのミーティングを行った。相変わらずの興味深い提案と、これからの野望を語り合い、ワクワクしながら打ち合わせを終えた。
そして翌日は仙台より、岩手 安代へと向かった。安代といえばリンドウと言えるほど有名であり、日本一の産地である。それは生産、出荷量もだが、取り組み内容がとても優れている。
ここでは育苗などの研究施設を用い、常日頃から栽培に適したものや、見た目や日持ちなどへの改良などに力を注ぐなど新品種への取り組みや適した品種開発に余念がない。さらに
各部会によっての積極的な販売戦略を行い、国内でのPRはもちろんのこと、輸出も手掛けている。切り花の輸出や海外委託生産などにおいては草分け的な存在であり、今もその成果を十分残している。
私は約10年前に、この産地で講演をさせていただいたことがきっかけで、産地の皆様と意気投合し、今まで毎年意見交換をさせていただてきた。時には産地フェアをさせていただいたり、展示会に出展をしたりなど大変お世話になっている。
そのようなことを思いながら仙台を出発し、途中サービスエリアで少しの休憩をして、お昼過ぎに安代に到着。そこで盛岡冷麺をいただき、すぐさま試験栽培場へと向かった。
そこにはいくつかの品種が、ちょうど花をつけていた。
その中でも、ひときわ輝いていたのがこのリンドウ
いかがですか~~?この発色。何とも言えない程の艶やかさ
長さがないため、切り花には向かないかもしれないが、個人的には、あまり多くの花をつけていないこのしなやかさがとても気に入った。今までの選別からは外れていたが、是非とも今後も検討してほしいものだと思っている。
この品種が、うまく様々な条件をクリアし栽培可能になったとしても、皆様の店頭に行く頃には、恐らく4年ほどかかるだろう。でも首を長くして待ってみたいと思う。
この他にも多くの試験品種があり、気になるのもあったが、ある程度の時間でこの場所から移動した。
その後鉢物の生産者を訪れた。
丹精込められて作られていたとても質のいいリンドウの鉢がならんでいた。多くは注文で出荷されていくことになるとのこと。あともう少しで出荷ピークも過ぎるので、是非最後まで体調を崩されず頑張ってほしいと思った。
この他にも興味深い鉢物があったので、別の機会に案内させていただこうと思っている。
そうこうしているうちに、夕暮れが近くなり、集荷場で今日一日お世話になった小笠原氏と別れ、宿泊地である仙台への帰路についた。
そして翌日は朝からホテルで事務仕事を済まし、夕刻大阪へと戻った。
今回の東北訪問も様々な収穫があり、今後に向けてまた楽しみと仕事が増えました~~。
さて、体調をきちんと整えて頑張りま~す。
そして安代から、とてもきれいなリンドウが届いた。
普通は鉢物品種だが、特別お願いして切り花使用で作っていただいている。
その綺麗さに多くの良い評価をいただけた。価格はまだまだ満足いただけるものではないが、この美しさと産地からバケツ輸送による品質の高さを考えれば、決して高いものではなく、十分価値あるものだと思う。
恐らく1年間のうちで1週間ぐらいだけしか出荷されないこのリンドウの素晴らしさと、安代リンドウ生産に関わる人びとの美しさを、是非多くの人に伝えてほしいと思う。
私が10年前にモンゴルにおいてミッションを行おうと思ったのは、急速な経済成長を遂げ、貧富の差が拡がり、そのことによってマンホールチルドレンとよばれる家族との絆を失った厳しい生活環境を強いられている子供たちが増え、またスリなどの犯罪も増えてきた都市(まち)ウランバートルと、少し市内から外れた草原においては、電気、水道、ガスなどもないが、厳しい自然や動物と共存しながら、家族が深い絆で結ばれた遊牧民の生活がある。まさに物が豊かでありながらも、心貧しき生活と物は無くとも心豊かな生活この両者を自分の目で見て感じることで、私たち日本人が忘れ去ってきた人として大事なものを呼び起こすきっかけになるのではないかと考えたからである。
さらに普段の生活から離れ、実際にこのモンゴルの地に身を置き、恵まれた普段とは違う生活をしながら、ボランティアで学校建設や農作業などを、子供たちと一緒に汗を流しながら行うことで、今までと違う自分を発見し、人のため社会のために、自らの力を発揮することのすばらしさに気づき、周囲を思いやる気持ちを抱くことによって「逞しい人間力」を育むことはできるのではないかと思ったからである。
注:写真は10年前の風景です。
そしてその実施、建設から10周年を迎え、当時の子供たちが作った施設は有効利用されているだろうかなど検証の意味もふまえて、私は久しぶりにこの街と遊牧民の生活に触れてみるために今回の訪問に至ったのであった。
今回はたった数日間の滞在であったが、当時多くの皆さんの協力と援助を受け、地元の子供たちやボランティアの皆さんと作った施設が今もなお受けつがれ、さらに発展していることが確認できた。
またそれと同時に、この都市の当時と変わらない、良きところ悪しきところ、当時と変わった良きところ、悪しきところを垣間見ることができたような気がした。
そしてこの訪問の終盤に、都市を一望できるザイサンの丘にのぼり、10年前の風景と重ね合わせて都市を眺めていた。
そしてこれが今の風景である。
10年経ってこの地に立つと、いろんなところが変わってきているのに気付いた。
都市には多くのビルが建設され、小高い丘には住居がひしめき合っている。このザイサンの丘のふもとにも、視界を遮るかのような商業施設や、購入には1億円をはるかに超える高級住宅街が建築ラッシュを迎えている。
市街地は高級車が多く走り、スーパーブランドの出店やホテルや飲食店、スーパーマーケットも多くできて、都市化が進んでいる。
そのためか恒常的な交通渋滞や環境汚染も以前より深刻になってきているのもわかる。恐らく貧富の差も広がっているのではないかと思う。
私は、近代化が進むことには良いところは多くあるが、それでも必ず守らなければならない自然や風土、景観がある。私はこの都市がもっと近代化が進んだ時に、きっと失われたものの尊さに気づき、後悔をするのではないかと思う。そうならないためにも古き良きモンゴルの自然、文化を守っていってほしいと切に思った。
そして最後に私がモンゴル遊牧民の生活において気づかされたことなどを書かせていただき、長々続いたモンゴル訪問記を締めさせていただきたい。
モンゴルの草原で暮らす遊牧民には、学校や病院、警察もない。さらに厳しい大自然の中での生活でありながらも、周りの人に囲まれ、笑顔を絶やさないお年寄りの姿がある。
それに比べ日本では、街にはバリアフリーが多く導入され、デイケアなどの老人介護施設が多く建設されているものの、街での生活に不自由しているお年寄りが多くいる。
私には今の日本は、お金をかけ、設備や施設を用意し、それでことを終えたような気がしている人が多くいるのではないか、それで自己満足しているのではないかと感じてならない。
私は、物を作り与えるだけではなく、お年寄りを敬い、困った人を助ける、人としての当たり前の心を持ち、互いが思いやりの心をもって生きていかなければならないことをモンゴルの遊牧民から教えられた。
そして本当に大切なものは、お金や物ではなく、人を愛する心、愛し続けることできるかということだと思う。
私自身、今まで目先の欲にとらわれてしまい、道をそれてしまいそうになったこともある。またこれからもそのようなこともあるかもしれない。でもその時に、ここでの学びを思い出して、あらためて自らを見つめ直し、本来の人としてのあるべき姿に立ち戻り、多くの人と手を携えながら生きていかなければならないと確信する。
そして最後に・・・
人は文明という偽りの正義の名のもとに、自分たちの都合で地球を破壊していっているのではないだろうか?またそれらが本来は過ちであるということに気づいていながら、その文明の居心地のよさから離れられず、自然をないがしろにし続けているのではないだろうか?
私はその警告が、近年の大震災であったり、今回の大島や広島など各地での大水害であったりするのではないかと考える。
同じようなことを繰り返されぬように、地球を愛し、自然を愛し、人を愛し続けていく心が必要であり、今こそ人類はそれらを行動として求められているのではないかと感じてならない。
相変わらず稚拙であり、乱文のため、読みづらく、意味も理解しがたいであろうに関わらず、その辺をご理解いただき、最後までお読みいただける皆様の心に感謝いたします。ありがとうございました。
27日の朝、たどたどしい英語でカウンターに行き尋ねると、私が乗るCA953北京発福岡行は、やはり北京で国内線に乗り換え、そして大連に向かい、またそこから出国手続きをして国際線に乗り継ぎ福岡に行くとのことだった。
この便は大連経由と知っている人は全然問題ないことなのだが、北京からトランジットで日本と思いこんでいる私には、何ら事前告知もなかったので、かなり焦ってしまった。
今振り返るとカウンターであなたの乗る飛行機は国内線と言われ、何で日本へ帰るのに国内線に行かなければならないのだ。私は国際線に乗るんだと言い張った自分が少し恥ずかしく感じてきた。そして自分の先入観と、焦ったときの平常心のなさ、さらに会話力の低さをまじまじと感じさせられたのだった。
そのようにして、北京を出発し大連に到着すると、飛行機の出口間もないところから、そのまま到着ゲートに向かう人と、福岡に行く人に振り分けをされた。
写真のような紫色の通行手形のようなものを手渡され、簡易な出国審査を終え、階段を昇ればそこは出発ゲートであった。そして少しの時間休憩をして、福岡行の飛行機に乗り込んだ。
乗り込み大連空港を飛び立ち、約2時間後福岡空港に到着した。
そしてやっと食事をとり、ラウンジでPCに向かい仕事をし、再び伊丹行の飛行機に乗り込んだ。
そうして約1時間で伊丹空港に到着した。
直行便だったらウランバートル~大阪は約4時間。
今回はウランバートル~北京~大連~福岡~伊丹約24時間かけての到着となった。それも、遠回りしたわけではなくほぼ直線に近い形での乗り継ぎなのにこのようになってしまった。
ただこの短い区間にも関わらず時間をかけて帰国したが悪いことばかりではなかった。おかげで経験値も高まった。さらにアタフタしている私を友人が激励やアドバイスをしてくれて、何とかクリアできた。本当にありがたいことが多くあった。
またこの路線を使うかどうかは微妙だけども、ウランバートルには必ずまた行くことになる。もし同じ行程の場合は、ゆったりした気持ちで同じ経路を笑いながらたどってみたいものだと思った。
さ~とりあえず無事帰れた。さて明日の資料作りを頑張ります。
これでモンゴル訪問記は終わりです。
前回にも書きましたが、モンゴルを訪れ感じたことはまたブログアップしますね。
皆さん。見ていただきありがとうございました。
いよいよ今日が最終日。珍しく雨が降っている。朝の待ち合わせうまく時間が合わなかったり、激しい渋滞に巻き込まれたりなど、中々うまく動けなかったが、何とか視察を終え、今回のもう一つの目的の手がかりは何とかつかむことができた。また内容が伝えられないものもあり、もう少し具体化してきたら皆さんにも報告をしたいと思っている。
そうこうしているうちに、気が付けばお昼をまわっていたので、パートナーと一緒に最後の食事をとることにした。
羊のスープに、モンゴル焼うどん。正直私は羊肉が苦手なので、抵抗が少しあるのだがせっかくなので最後のしめはこれにした。
最近ではウランバートルでは、コリアンでも和食でも何でも食べることができる。おまけに少し創作っぽいイタリアン風のモンゴル料理もできてきたらしい。
さらに以前は百貨店のようなものがあるぐらいだったか、今ではヴィトンやボッテガなどの直営店もできている。スーパーも多くできていた。
またいろんな施設の建設も進んでいて、確かに街は近代化してきている。ただすべてが喜ばしいこととはみんなが思っているわけではない。この辺のことについては、またまとめて感じたことをかければと思っています。
食事を終えると、飛行機の出発2時間前だったので、空港へと向かうことにした。そして途中線路を渡った時に、ふと思うことがあった。
そして出発前だがパートナーに最後に行きたいことがあるとお願いして、ウランバートル駅に連れて行ってもらった。
この路線は大瀧詠一の歌「さらばシベリア鉄道」の影響か以前から一度乗ってみたいと興味津々だったシベリア鉄道であり、運が良いことに1日1本ぐらいの列車が止まっていた。
本当は路線で北京やモスクワに向けて乗ってみたいのだが、そこまでの時間は私には到底無いので、せめて食堂車だけでも見学させてほしいとお願いしてみた。最初はかなり抵抗されたが何とかお願いして停車中のしばらくの間乗せてもらうことができた。
おまけに乗務員さんに一緒に記念写真をお願いしてもらったが一人目は、あっさり断られた。でもせっかくなので、もう一人の乗務員さんにパートナーがお願いしてくれた。
その時、パートナーがお願いしたのが、「日本からやってきて記念に写真を撮りたいと言っているのでぜひお願いします」と。そして乗務員は「イケメンの日本人ならいい」と・・・
そこで私が登場したら乗務員は開口一番「この人日本人じゃない!!!」って。それでも何とか一緒に写真を撮っていただけました。乗務員さんありがとう。
そうして北京からウランバートルを経てモスクワまで約5泊の旅をいつか完走してみたいと強く思い、駅を後にして空港へと急いだ。
少し話を戻すが10年前もだが私はカザフスタン人に似ているとかよく言われたのだが、今回は似ているというレベルではなく、当たり前のようにカザフスタン人か内モンゴル人と思われていた。それも日本人旅行者や、モンゴルの多くの人にも・・・。 喜ばしいことかどうかは微妙であったが、視察の際は少し役に立ったかもでした。(笑)
そして出発の1時間前に空港に到着。この数日間パートナーを務めてくれたハグワ氏と再会の約束と握手を交わし、ここで別れて空港内へと私は進んでいった。
機内ではまたあのサンドウィッチが出てきて、さすがに今回は手をつけられなかった。
そして約2時間北京国際空港へ到着した。出発は翌朝のため北京での1泊になる。ただそのためだけに市内に出ても、いろんな面でマイナスが多いのと、たまっている仕事も進めたいので、空港内の有料ラウンジを高校時代の親友に手配をしていただき泊まる予定。
そのため、入国せずにトランジットをしようとしたら、ここからは入れないのでと別ルートを案内され、言われるままに進んで行った。そして最終的に出国してしまうことになってしまった。
そして仕方がないのであらために出国しようとしたら、あなたは国内線だから出国できないとのこと。結局語学力の乏しい私とっては、北京から福岡だから国際線でしょ?と何度も押し問答。そしてどうしても理解ができないので、私の高校時代からの親友の同僚が中国にいるのでホットラインで助けていただいた。彼の話によると私が乗る飛行機は大連経由なので、国内線で大連へ行き、そこから福岡に行けとのこと。
尚更私は理解に苦しんだ。急に変更になったのかもしれないが、それならチェックインの時に行って欲しいし、それが通常ならチケット発行時に行って欲しかった。
私のeチケットとボーディングパスがこれ。ここのどこに大連経由とか国内線で移動とかが書いてあるのか?何でこんなことになっているのかもよくわからず、相手の話す言葉もよく理解できずにバタバタし食事もできず、やっと先ほどソファーラウンジまでたどり着いた。
そして今このブログを不安に包まれながら書いています。
本当に明日、語学力のない私は帰れるのであろうか???
明日無事帰れましたら、モンゴルで思ったことなどのまとめを後日アップさせていただきますのでしばしお時間を下さいませ。
ではでは。
とりあえず明日に備えて仮眠します。おやすみなさい。
今日は朝から前回、モンゴル マンホールチルドレンの現況などの社会問題などをミッションメンバーにレクチャーしていただき、大変お世話になったワールドビジョン モンゴルに、前回のお礼と、作った施設の現況の報告に訪問した。
事務所の移動などもあり、アポなしでの訪問になったが、気持ちよく応対をしていただき、ディスカッションさせていただいた。
私は10年前にくらべマンホールチルドレンは減少したと聞いていた。ただなぜ減少したのかということに、色んな憶測が流れているのが気になっていた。その説明はワールドビジョンさんの報告では5か所しかなかったマンホールチルドレンなどの子供の収容施設が30か所になり減少したとのこと。地元に人によれば、全てがそのおかげではなくて、もっと違うことを言うひともいるが、それはあまりにも恐ろしいことなので、そう考えずに、またそうでないことを願っていたいと思っている。
このようなことや現況などを聞かせていただき、市内や遊牧民の子供たちの教育の話もさせていただいた。ここではわずかな時間でしかなかったのだが、お話をさせていただいたことはとても有意義であり、10年越しのお礼も伝えることができたので胸をなでおろすことができた。
そして最後に、このモンゴルは安心安全な食べ物の確保も容易ではない状況でもあるが、私は花き業界に携わるものとして、花きを通じてモンゴルにできることをお互いに考えていきたいという言葉を残し、再会を約束して事務所を後にした。
そしてその後、食事を済ませ、ナラントール ザハ(市場)を訪れた。
駐車場もまるでルールがあるような無いような状況で車を停めるにもひと苦労する。
ここナラントールザハは、モンゴルで一番大きなザハで食品や家庭用品など衣食住に関わる全てのものが売られていて、生活を実体験できる場所でもある。このザハも以前に比べ、かなり大きくなり、混雑状況も半端ではない。当然どこの国にいってもこういう施設では、犯罪も起きやすく、基本慣れない日本人には正直危険なのでおすすめはできない。現に私が行った時も、目の前でスリが捕えられ連行されたり、壮絶な取っ組み合いのケンカで血を流したりしているものもいた。そんな状況を見て草原とのギャップにおどろかされ、草原の美しさが消えてしまいそうになるからだ。
しかしモンゴル ウランバートルの現状を受け入れたうえで、モンゴルの素晴らしさを感じられるのであれば、一度は行っていただきたいところでもある。
ちなみにこのように花も売られていた。良い品質とは到底言えないが・・・
しばらくザハ内を歩き回ったのだがさすがの私も、人ごみに圧倒されたので、長い時間を費やすことなく移動をした。
そうしてホテル近くをめざしたが、またもやあまりにもひどい交通渋滞。街角にはヒッチハイクのように、車に乗せてくれという人たちが多いため、尚更道が混む。
モンゴルでもタクシーは当然走ってはいるのだが、日本でいう白タクも合法であるらしいので、手っ取り早く普通に走っている車をヒッチハイクのように停めるのである。ちなみに料金は1kmあたり約60円とのことである。さすがにこれも私は未体験である・・・。
そんな渋滞を避け、ウランバートルが一望できるザイサンの丘へ行くことにした。
実はこの丘も、私の今の仕事においてとても重要な意味を持つ場所である。10年前にこの場所から、ある人に国際電話を掛けたことから、今のビジネスがあるといっても過言ではないかもしれないほど、私にとって意義深い場所ある。そしてその時のことを思い出しながら、長い階段を上り下りした。
そしてホテルへ。そのころには日も落ちかけていた。モンゴルのこの時期の日没は20時30分ぐらいなので、それから現地パートナーと食事や打ち合わせ、またもや思い出話をしていたら、夜中になってしまった。
さ~明日は、少し仕事の視察もあるので資料をそろえておかなければ・・・。尻切れトンボのようなブログになってごめんなさいですが、完全電池切れのためごめんなさい。
そしておやすみなさい。
今日は、朝から10年前に建てた小さな学校がどのようになっているかを確認すべく、車で目的のキャンプ地をめざした。
途中いつものように、草原をひた走る。まだまだ整備が行き届いていない道に体を大きく揺らしている状況は、期待と不安が交錯する自分自身の心を表しているようだった。
途中では、馬や牛、山羊、羊などと出会い、心の中であの学校はどうなったか?とたずねながら、心を落ち着かせるのに一生懸命だった。
そして約2時間、目的地であるキャンプ地が目に入ってきた。
そこには、当時私たちのミッションの現地の中心的存在であるBaatar氏の変わらぬ姿があった。彼はこの地において、サマーキャンプを毎年開催していて、その際に私たちがつくった学校を利用しながら、管理をしていてくれているのである。
彼には数日前に急にそっちへ向かうと連絡していただいただけだったが、遠路より訪れた私たちを、温かく迎え入れてくれた。
そして多く言葉を交わす間もなく、何よりも当時の場所へと早足に移動をした。しばらく歩くと、目の前にはほとんど当時のままの姿の建物があった。
学校の入り口に、当時つけていった看板もしっかりついていた。
それと壁に子供たちとミッション参加者が笑顔で一緒に描いた絵も残っていた。
またその絵に、その後参加者が重ね描きをしてくれていて、多くの人がここを訪れ、この場で子供たちと交流し、色んな事をお互いが学び合うことができ続けていることが確認でき、あらためてみんなで作ったことが間違っていなかったと、安堵感とうれしさを同時に味わうことができた。
さらにこの施設ではその後も増築をすすめ、世界各国からのボランティアを受け入れられる宿泊施設も増え、その参加者同士や子供たちが学べる場所もできていた。現在も2人の日本人がこの地で活躍しているとのこと。会って激励したかったのだが、日曜日でお出かけしたとのことであった。これからもこの地で子供たちと触れ合い、様々な学びを得て帰国してくるのであろう彼らに、大きな期待をしたいと思う。
本来であれば、この施設で、現地の子供たちと各国からくる参加者とともに、一緒に汗を流したかったのだが、日曜日であったのでそのことは叶わなかった。しかし明らかに前進しているここのメンバーの実際の行動とその結果で多くの勇気をいただくことができた。
さらに普通であれば食べる野菜を作るのに毎日フラフラになっているであろうに、この施設には花も育てられていて、その花は普段私が見る完成度の高い花や、一流のデザインを施された花とも違う、特別な美しさがあり、安らぎと力強さを与えてくれた。
本当はもう少しここに滞在し、いろんなことをゆっくり考えてみたかったのだが、モンゴルは長い間氷と砂嵐によって閉ざされる時間が長いため夏はとても貴重な時間である。そんな貴重な時間を私に割いていただくわけにもいかないので、かなり後ろ髪をひかれる思いをしながらだったが、彼らと強く握手を交わし、また訪れることと、私たちにできることの協力を約束し、また草原に車を走らせることにした。
10年ぶりに訪れたこの地には、あまりにも当時のまま残っている建物、絵などがあるのが、可笑しくっておかしくって、涙が出そうになった。
本当にありがとう。きっとまた訪れます。また逢う日まで元気に頑張ってください。
私も皆さんに負けないよう、皆さんとの思い出を糧に情熱をもって頑張っていきます。
関空を10:00に出発し、北京国際空港に13時前に到着した。
ここでトランジット。イミグレーションを通過するとき、目薬を出すのにポケットに手を入れていたら、「ポケットから手を出せ!!」と・・・・・。相変わらず手厳しい。
ポケットに手をいれて叱られたのは、きっと小学生の時以来だと思う。その厳しい口調に、少しムムッと思ったのだが、続いてのボディチェックのときの女性が、とても好意的に微笑みかけてくれたので、少し気をよくして出発ゲート近くまで移動した。
そして時間があるので航空会社のラウンジで食事をとった。
ここの炒飯は庶民的だが中々美味しい。その他鶏肉の炒め物も結構いける。さすが中華はどこで食べても安定しているように思う。それと一緒にオーダーしたトマトスパイシーヌードルは、少し期待はずれであった。
お腹も膨れてメールチェックしようとパソコンを開いてアクセスしようとしたら、それが中々うまくWi-Fiにつながらない。そのため仕方がないので持っているスマホのテザリングでつなげたもののかなりの速度遅さ。写真一枚送るのに5分以上かかってしまうほど。
あり得ない。おまけにFacebookもつながったり、つながらなかったり・・・・・。
中国でFacebookがつながる方が珍しいかもだけど、他国と違う相変わらずの状況に正直ちょっとイラついてしまった。
そんなこんなでも結構ラウンジでは快適に過ごさせていただき、15時まえのウランバートル行の飛行機に乗り込んだ。
飛行機の中では、不愛想な表情でサンドイッチが配られたのだが、おまけにこれが結構厳しい味。さらにジュースは常温。体のことを気遣って常温とは決して思えない心遣いであった。
北京までの日本の航空会社とウランバートル行の中国系の航空会社との違いを歴然に感じることができた。それと同時に今度からは、食事はラウンジできっちり食べて、飛行機の中では口にせず、ひたすらパソコンを開いて仕事に没頭しようと思った。つまらないことでしょうが・・・(笑)でも皆さんもそのほうがいいと思いますよ~~。
ま~そんなこんなで、目的地チンギスハーン空港(ウランバートル)に無事到着した。
モンゴルにつくと、10年前の色んなことが思い出されてくる。うれしいこと。悲しいこと。悔しかったこと。笑ったことなど・・・そのころ私はまだブログを書いていなかったし、Facebookなどももちろんなかったので、皆さんに伝えるすべを持ってはいなかったので、今回はその辺のことも改めて書きながらアップしていければと思っている。
まず空港に着くと、初めてモンゴルに降り立ったときのことを思い出された。当時は海外旅行の経験もほとんどなく、語学力もないため言葉もわからない単身の私がマイナス35度の極寒の地ついて、かなり寒く、不安であったことなどを・・・・・
そのことを思えば、この10年間で個人的には少しは成長したのかもしれないと思った。
そして空港で10年前のミッションの現地調査から開催まで、私の手足となって動いてくれたハグワ氏と再会し、今回のスケジュールの打ち合わせを兼ねて、一緒に食事をした。
今日の晩餐は日本のしゃぶしゃぶのようなものである。このお店は一人に一つずつ鍋が与えられ、自由に食べる。その前の機内食がかなり・・・だったのもあり、ここでの食事はとても美味しく感じた。
そしてお互いが当時の思い出話をしていると話が尽きないため、食事を早目に終えると近くのデパートの視察にいった。
このデパートは10年前もあったが、改装などもあり、かなりきれいになっていた。
店内には海外ブランドもあり、かなり華やかになっている。
さらに1階入り口付近には花屋さんが、問屋街のように5軒ほど隣り合わせで営業をしていた。同じ場所で数件が隣り合わせて営業とは、日本では見ることができないビジネススタイルに驚きをおぼえた
各店舗ともデザインや品質はかなり厳しいものがあったが、10年前にはこのように売られていることが少なかったので、そのことを思えば随分進んできたように思う。
ちなみにこのブーケで2500円ぐらい。月給が5~8万ぐらいが平均なので、結構高価なもので日常品とは到底言えず全てギフト用なのであろう。
モンゴルの車の80%は日本車に思えるほど日本車が多く、ランドクルーザーの新車も走っていた。価格を聞いてみると1200万だとか・・・。一部かどうかはわからないが、このような車がゴロゴロ走っていて、この10年間で経済も大きく成長したのであろう。後はバブルのように、はじけないことを祈っておこう。
そしてこの日はこの辺で視察も終えることにした。さー明日はこの衣装でも着ていこうかな。
では今日はこの辺で。
おやすみなさい。