四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

2016.03.07

岐阜へ。ご先祖様(金岡喜蔵 二代目又右衛門)のお導き?

前回のブログでも紹介させていただいたように国際花きシンポジウム参加のために、岐阜訪問をした。その際に、揖斐大野という街を訪れることになった。
実はこの揖斐大野は薔薇園植物場にとっては、とても関わりが深い場所で、祖父 金岡喜蔵が大変お世話になった街なのである。

4日、岐阜到着後、まずセントラルローズを訪問し、そこで現在とても活躍中の河本バラ園さんのことを教えていただき、今回、揖斐大野の訪問へとつながった。

車で約10分。河本バラ園さんに到着。圃場にいた方にお声掛けさせていただくと社長は不在とのことであったが、社長のお母さんがいらっしゃるとのことだったので、お声をかけさせていただくと、すぐ近くに、現役で自ら動かれている女性がいた。そう、その人が育種家で有名な河本純子さんであった。

そしてその時の私たちの会話はこんな感じ

金岡:「はじめまして、見学をさせてください。」
河本さん:「はい。どうぞ~~。中々整理が出来ていなくて、すみませんね~。」
金岡:「実は私のお祖父さんは、岐阜にバラ作りに来ていました。」
河本さん:「どちらからおいでになったんですか?」
金岡:「私は宝塚から来ました。」
河本さん:「まさか金岡さん?」
金岡:「はい。金岡喜蔵の孫にあたります。」
河本さん:「いや~~~~~。そうなのですね。あなたはお孫さんなのですね。私たちは、
あなたのお祖父さんのおかげで、今があるのですよ。」
金岡:「・・・・・・」
河本さん:「まさか会えるとは思わなかった。良くお越しいただいた。」

このようにお声掛けいただき、そして少し古くなりかけたハウスを指さしながら
「このハウスはお祖父さんいた時に建てたハウスなんだよ!」とおっしゃっていただけた。

そして当時のことを振り返りながら、祖父のことを懐かし気に話していただき、しばし何と
も言葉に表すことができない不思議な温かい感覚の時間が流れた。

そして短いながら多くのことが詰まった立ち話を終えると、河本さんは私に、カタログを
お土産代わりに持たせてくださり、当時祖父が住んでいた家があった辺りを教えてくれた。

私は折角なので、教えていただいた祖父が暮らしていた場所まで移動し、そこからの風景を
しばし眺めていた。そしてここの場所で二代目又右衛門 金岡喜蔵は薔薇づくりに命をか
けていたのだと思うと、こみあげてくるものがあるのと同時に、この場所に今回来ることに
なったのは、きっと何か意味がある。私に何かを伝えようとしているのか?何かの縁をつな
げてくれようとしているのか?それか単純に本人が岐阜に行きたくなって、私の車に乗っ
てついてきたのか?など色んなことが、頭の中をぐるぐるまわった。

しばらく色んなことを考えてみたが、結局その時の私の答えは、きっと全部が正解なのであ
るんだろうな~~と思えた。

そして、さらにその翌日に参加したフェスティバル会場で、ばったり出逢ったローズナカシ
マさんにお声掛けいただき「あなたは金岡さんだね。私はお祖父さんに本当に世話になった
と・・・」仰っていただけた。

そして素晴らしいのができたから、どうしてもあなたに見て欲しい薔薇がある。と、
言われ、また日を改めてお邪魔することを約束して、その場を後にした。

その時私は、そのバラを見て欲しいのは、私本人ではなく、誰よりもお祖父さんに見て欲し
いと思っているのであろうな~~ということを感じた。

私は、この二日間を通じて、祖父 金岡喜蔵に本当に素敵な縁をつなげていただけたと思う。

そしてあらためて二代目 緑匠・又右衛門に相応しい、金岡喜蔵の偉大さを感じることがで
き、自らの気持ちを引き締めることにもなった岐阜訪問となった。

ご先祖様 そして縁に本当に感謝である。