四代目又右衛門の頭の中を書いたブログ

MATAEMON'S THINKING BLOG

今日、明日はフォートド―ファンにあるササンクロスというボランティア団体に届け物があるのと、この地で又右衛門がボランティア団体の活動支援をできる取り組みを始めるための初めての訪問をする。

 

まず今朝は3時に起きてパッキングをすませチェックアウトをした。当然時間が早いでの朝食ビュッフェはないが、昨晩にお願いしたら私のための朝食を準備してくれた。

 朝の4時から準備いただけるHospitalityに感謝である。

そしてホテルにパートナーが迎えに来てくれ、空港へ向かった。

 430分ごろだが、既に街には生鮮物を仕入れる人や販売する人などで行き交う人が大勢いた。 

ただこの時間は、さすがに渋滞はなく、昨日は2時間以上かかったのが約30分で空港に到着することができた。そして空港に到着すると国内線にも関わらず2時間前だが多くのチェックインの人でいっぱいであった。

 なぜ国内線であり、小さな飛行場なのに2時間前に行かなければならないのかを聞いてみると、普通の検査に加えて、ペスト感染者のための熱検査があるのと、オーバーブッキングが日常茶飯事のため、予約していても早くいかなければ席が無くなるからとの答えに、今までの経験値から妙に納得させられてしまった。 

 そして無事ボーディングパスを受け取り(*席番が切れていて明確ではないが(^^;))何とか無事座席が確保できたと安堵し、しばらくの間何もない待合室で出発時間を待つことにした。

 待合室では、飛行機の搭乗を知らせる掲示板などは全くなく、ひたすらアナウンスが頼りである。ただそのほとんどがフランス語のため、私はさっぱりと言っていいほど理解が出来ず、みんなの行動についていくしかない状況に近いので、乗り継ぎでフォートド―ファンをめざすこと私は少し不安を感じながらいた。

 そして待つこと1時間30分で、無事飛行機に乗ることができ、経由地であるチュレアールへ向かった。 

 そして約1時間でチュレアール空港に到着した。そして多くの人がここで降りたので、念のためにフォートドーファンに行くのだが、このまま機内にいればいいのか?いったん降機して、再度搭乗すればいいのかを尋ねてみると、NextNextと言われたので、ボーディングパスはもう一枚あるので、次の飛行機に乗れと言われたと思って、降りようとしたらリュックをつかまれ、ここはチュレアール空港。フォートドーファン空港は次だ!と止められた。さっきのNextはこの意味であったと理解が出来た(笑)。語学力の乏しさを痛感した一瞬であった。

 そして約20分の乗り継ぎを経て出発。約1時間後に無事フォートド―ファン空港へと到着した。空港にはボランティア団体のサザンクロスから迎えに来ていただけていて、そのまままずは、事務所にお邪魔し、簡単なミーティングとお土産などを手渡しし、その後、サザンクロスが活動する集落に向かうことにした。

 集落へは車で約2時間。アンタナナリボと違い、渋滞はないのだが、かなりの悪路のため、かなり時間と体力を要した。


 途中 三角ヤシの群生を見ることができたり、カエンボクなどがきれいに咲いていたりした。その他にもとても気になる木を見つけることができた。

 


 途中パンクのアクシデントもあったが無事にサザンクロスが植林や自立支援を行う1つ目の集落へ到着した。

 そこには秋篠宮殿下と眞子さまが植林されたバオバブの木を拝見させていただくことができた。

 そして又右衛門も隣の集落で植林用のバオバブを購入させていただいた。

 次の集落では、この地でバオバブの置物を作っていただき、それを日本にて販売し、現地での活動支援を行う又右衛門バオバブプロジェクト第2弾の依頼に立ち寄った。


彼は私の申し出に早速、取り組んでいただけるとのこと。サンプルをつくるのでしばし時間を欲しいとのことで、私たちは次の集落へと移動した。

次の集落でも支援プロジェクトの話をさせていただき、まだ時間があるのでサイザル畑を観に行くことにした。

果てしなく続くその広大さは圧巻であった。そしてここでしばらく休憩し、先ほどの集落へと戻ることにした。

 そこには既に出来上がったサンプルを手に、青年が私たちを待っていてくれた。

そして私はこのバオバブの置物の可愛らしさもあったが、手から伝わってくる温かさに感動をし、このプロジェクトを進めることを確定させることを決意した。是非来年皆さんにも触れていただく機会をつくりたいと思うのでよろしくお願いします。

 

そうこうしているうちに時間も遅くなってきたのでこの日は帰路につくことにした。

 

そしてその帰り道で、野生のワオ・レムール(キツネざる)に遭遇した。それも何と双子の子連れである。

 

地元の案内人もこのようなことは今までになかった、又右衛門は本当にラッキーマンだと驚いていた。

 

野生のワオ・レムールと公園や動物園にいるものは少し違って逞しさがあってさらに可愛く感じることができ、とてもほっこりとした気持ちになり、再び帰路についた。

その途中では、さらにいくつかの素敵な植物にも出逢えることが出来た。

そして、暗くなりかけた悪路に身体を大きく揺さぶられながら、約2時間走り続け、サザンクロスの本拠地に無事戻ることができた。


そこにはとても豪華な夕食でご家族が迎えていただき、出国後、ずっとひとりぼっちの夕食であったので、その美味しさと温かさが、とても心と身を癒してくれる本当のご馳走をいただけた。


そしてお腹もいっぱいになり、少しミーティングを行い、ホテルにチェックインしてこのブログを書きました。

中身が濃い一日のためかなりの長文&乱文になりました。にも関わらず見直す気力も体力も残っていないのでそのままアップいたします。ごめんなさい。

肩と腰が痛く中々眠れずのため、朝一番から散歩に出かけた。

陽が登る6時過ぎから既に清掃作業や工事作業も始められている。

 

そしてホテルで朝食を済ませ出発時間までに近くを歩いてきた。

 道路は通勤ラッシュで歩道には多くの人が行き交い、お店も並んで少し歩きづらい状況である。


そしてホテルの近くにあるスーパーマーケット JUMBOの子どもの施設内にある小型のバオバブを今回も見てきた。

私のとてもお気に入りの一本である。

 

高さ3m弱で、この大きさであれば日本ではとても人気が出るサイズである。

ただしかし通常はもっと大きくなるため、このようなものは中々ないのが現実である。

 

そしてこのバオバブに元気をもらい再びホテルに戻り、シャワーを浴びて、目的地へと向かった。

 

 

渋滞がなければ20分のところを約1時間でナーセリーのオフィスに到着。まずはオフィスでマダガスカルの現状や日本やアジアの状況についてディスカッションをさせていただき、お昼からは圃場を見学させていただいた。

 

 とても人気の高い植物やユニークな植物を多く拝見させていただくことができた。

そうこうしているうちに、お昼を大きくまわったので軽くランチを済ませて、このナーセリーの訪問は終えることになった。

 

そして本来ならもう一件を行く予定であったが時間的に難しくなってしまったので、日本から頼まれている本を探しに、アンタナナリブの中心街へと向かった。

 ところどころでジャカランダが満開を迎え、とても美しく見える。

でも市場に入るとそうではない。正直衛生状態も良く無いし、防犯上も良いとは言えない状況である。

 そのような中、正直ペストの問題もあるので、あまり人ごみは控えたいと思っていたが、日本から頼まれた本を探さなければならなかったので市場付近を探し回った。

  

 市場には大勢の人がおり、私に寄ってきて物乞いする子どもたちや、街中で横たわる人たち。

決して衛生上良いとは言えないお店などが立ち並んでいる状況であった。そのような中10件ぐらい探し回ったが結局見つけることが出来ずに今日は断念した。

 そしてこの日は諦めてホテルまで10kmもない距離に2時間以上かけてホテルに戻った。

明日は飛行機で移動のため3時に起床、デスクワークは程々にして横になるようにします。明日明後日は南部への移動のため、さらに通信状態は悪くなるため、アップできないかもですが、可能な限り頑張ります。

ではでは~~~。

 

7日早朝宝塚の自宅から出発をした。

今回の移動行程はまず宝塚を出発し、伊丹空港―成田空港―フランクフルトーヨハネスブルグーマダガスカルという長い行程になる。何と機中泊が2日間続くという、機内で眠れない私にとっては、ほぼ拷問ともいえる行程である。

まず風邪気味で体調万全とは言えないが問題なく伊丹空港を出発し、定刻に少し遅れて成田空港に到着。今回は乗り継ぎ時間が少ないため、ラウンジに駆け込み、バタバタに大好物のビーフカレーをお腹いっぱい食べ、飛行機へと乗り込んだ。

まずはここから約12時間のフライト、優先順位の高いデスクワークを行い、SKY-WiFiのおかげで仕事ははかどり、無事フランクフルトに到着した。

フランクフルトに降りるのは久し振りである。ここ最近1月のドイツで行われるIPMに参加していないため、フランクフルトにくることは本当に少なくなってしまった。

今回は各路線をバラバラに購入したためもあり、日本では南アフリカ航空のチケットを発行できないからドイツに一旦入国し、そしてチケットカウンターで搭乗手続きを行ってから、再び出国手続きを行い、乗り継ぎの飛行機をめざして欲しいとの案内であったが、そうしなくてもそのまま行けるだろうという考えが私にはあったので、ボーディングパスはないが、そのままトランジットで進んでいき、次の出発が予定されるゲートまでとりあえず、行ってみたら、そこはカタール航空であった、そこで職員に問い合わせると出発前1時間ぐらい前にはこのゲートで南アフリカ航空職員が来るから、理由を話して手続きしてボーディングパスを受け取ればいいと教えてもらい一安心できた。実際の私の語学での質問と、ヒヤリング能力では、十分な会話にはなっていなかったと思うが、互いが目を見て話すことで、概ね理解が出来た。

そして搭乗までは約4時間30分。これまた長い。私は地元での工芸品など以外にはあまり興味がないためショッピングで時間をつぶすことができないので、ここでも無料ラウンジにて滞在。

ひたすらサラダとチーズとフランクフルトを7本食べながら、通信環境が整った良い場所で出発までパソコンに向かい今度いつつながるかわからないため、できる限りのことはしておいた。



そして定刻 南アフリカ航空にてフランクフルト空港を出発、ヨハネスブルグをめざした。この間約10時間30分。わたしの座席の隣は感じのいい青年であるが、身体が大きいのでかなり窮屈さを感じる時間であった。この飛行機はWiFiもコンセントもないのと、機内食が終わると、すぐさま真っ暗になったため、私のパソコンが辺りを照らし、キーパンチ音が響くようになったので、パソコンは諦め、参考書に切り替えようとしたが、少し暗いのでこれもほどほどにして、寝ることにチェレンジしてみた。

 

通販で買った四角く膨らまして顔をうずめる枕のような物を持ち込み、お医者さんからいただいた睡眠導入剤を飲んでみた。少し眠りづらかったが、2日連続の機内泊で1日目は一睡もしなかったためでもあるのか、仮眠程度には眠ることができた。

 


そしてほぼ定刻にヨハネスブルグ(南アフリカ)に到着した。南アフリカ訪問は初めてである。来年早々にナーセリー訪問の予定があるので今回はトランジットのみである。この乗り継ぎには1時間少々だったので、足早に移動し、手続きを終えて、トイレに行ってギリギリぐらいで、マダガスカル行きの飛行機に駆け込んだ。

 飛行機の窓から、南アフリカの地を眺めながら、約3時間で目的地アンタナナリボに到着した。

 空港で待つこと数十分、前回お世話になり、今回もサポートしてくれる気心知れたパートナーが迎えに来てくれ、まずは明後日の国内線のチケットを買いに旅行会社へと行った。

 その道中では、植物も生産者も喜んでもらえる方法などを話し合っていた。そして街中は大勢の人がいるので、少し気になっていたペストの話を聞いてみたが、問題ないとは言っていた。私のマスクはしなくていいの?との問いかけには、マスクは病気にかかった人が他の人にうつさないようにするもの。私がマスクしていたら、周りは私を伝染病患者と思うかもと言われ、結局マスクはせずにいた(^^;)


そしてチケットをもらい、ホテルで今回のプロジェクトのキーパーソンと会い、私のビジネスモデルを伝えたところ、概ね共感していただくことができたので、何とかうまく前に進みそうになってきたと思う。

 

その後は、それぞれに忙しいので、ここで解散し、私は近くのJUMBOにミネラルウォータなど買い出しに行き、ホテルに戻り、一人でWelcomeパーティーを行い、2か月前の訪問の思い出に浸っていた。(寂しいぞ~~~(笑))

 

さて明日からは実際の活動。従来に比べ厳しい環境ゆえ、活動に制限が出たり、内容的にまだ公開できないことが多くなったりで、ほわ~~んとしたつまらないアップになってしまうかもしれませんが、断続的になってでも、ブログとFacebookにアップしていきますので時間があれば見てくださいね。

 

それとちなみにマダガスカルはWiFiはホテル以外ではほぼ使えなので何かありましたメッセンジャーかスマホに電話くださいませ。

 

では~~おやすみなさい。

 

今回は、前回のマダガスカルは、グループ旅行と視察であったので、個人的な時間には制約があり、じっくり時間は取れなかったが、大まかに各地を周ったことで可能性を見つかることができたのと、この地で又右衛門ができること。又右衛門しかできないこと。又右衛門がしなければならないことを見つけることができるように思うので、今回再び訪れることにした。

 前回マダガスカルを訪れた時には、病気ではマラリアに注意が必要であったが、今回はそれにもましてペストに注意といくことである。ペストと言えば子供の頃、とても恐ろしい病気のひとつで、黒死病とも言われると教科書でみたことがあり、そのことが脳裏に焼き付いて、当時とても恐ろしい病気である印象が強く残っている。


 そして今流行しているのは飛沫感染のため感染能力の高い肺ペストなので、特に人ごみには要注意である。現在死者は120名以上、感染者は2000人弱とのことであるが、みんなきちんと数えられておらず病院にも行けない子どもたちもいるので、実際の感染者数はその数倍から十倍以上とも言われている。そのような時期に行く必要性があるのか?と言われれば少し返答に詰まってしまうかもしれない。ただの植物輸入を手掛ける者なら、時期をずらしてとか、ブローカーに任せてと言うことが懸命であろうが、私の場合は植物だけであっても自らの足で現地行き、その眼で確かめてくることが信条なので、やはり行かなければならない。

 

では時期を変えればとも思ったが、今まで培ってきた経験や技術が、ひょっとしたらこの厳しい環境でこそ発揮できるのではないか?今だからこそ行かなければならないのではないか?と思い、予定を変更することなく、あえて与えてくれた縁と感じ、訪問をする。当然何かあっては多くの人に迷惑を掛けるので、自らを守ることも忘れずに、できる限りの活動をしてきます。

 今回のマガダスカル再訪において多くの珍しい植物輸入に期待していただいている方も多いかもですが、今回はまずは現地で行われているという乱獲などの現地状況をしっかり把握し、今後は植物や生産者を守るためにも合法的かつ永続的な経済活動にしていくことができる仕組みを作る基礎をまずつくらなければならないと考えています。


そしてさらに、私が依然行っていた海外協力活動による現地NGOへの支援、そして先ほども触れたが、このような厳しい衛星環境に置いて、私たちが培ってきたO-157やノロウィルスをも撃退する除菌テクニックが、何らかのお役に立てないかと思ってもいます。

 

さて往路は約40時間、復路は約48時間の移動でヘトヘトになってしまうかもですが、一生懸命頑張ってきます。

今日は、5年前より親しくさせていただいていた沖真稀さんの結婚披露宴に出席させていただいた。

沖さんとは、約5年前、フラワーバレンタインコンサートを機会にお知り合いになり、沖さんの親友である丁野さんとよく一緒に食事に行き、大笑いしながら馬鹿話を長時間させていただいた。

 当時は、清荒神の参道にお店を出され、大変忙しくされているので、結婚はまだまだ先になるのかと思っていたのが、清荒神のお店がきっかけなのか、お寺の住職さんとの結婚に至ったのである。

私は幾度か披露宴に出席させていただいてはいるが、お相手側がお寺さんと言うのは初めてであり、出席者の約半分は、丸刈りであったのがとても印象的であった。

ただ披露宴は、法要の時とはうってかわって、とても楽しく、にぎやかなものでありとても面白かった。

そして披露宴の内容も、新郎新婦が参加者一人ひとりにメッセージカードをかいたり、オリジナルのものを多く準備されていたり、本当に心のこもったおもてなしであった。

 私のテーブルには宝塚の方が多く座らせていたただき、両名を間近に観ながら、色んな思い出話をさせていただくことが出来ました。

 帰りには宝塚チーム全員で写真を撮らせていただき、寒い夜であったが、心はとても温かく家路につくことが出来ました。


本当に最高のおもてなしの結婚式でした。新郎新婦に心から感謝するとともに、末永いしあわせを祈っております~~。

またみんなで焼肉行こうね!

今日は阪急宝塚駅前広場にて、宝塚商工会議所 女性会による「花いっぱい運動」が開催され、ご挨拶に伺ってきました。

塚本会長はじめ、女性会の皆様には以前から大変お世話になっており、又右衛門の活動にもご理解いただき、ご支援をいただいています。

10時からのOPENでしたが、開始早々に多くの方にお越しいただき、11時ごろにはほぼ完売状態で大変盛況でした。素敵な女性陣の販売力には、プロショップも顔負けでした。 

 園芸のまち宝塚でこのように行われるイベントが、宝塚、日本、世界へと拡がっていけば、とても素敵だと思っています。

 これからも微力ですが、又右衛門も皆様と手をつなぎながら、宝塚の世界発信につながる取り組みをしてまいります。 

 

今日は輝かれている素敵な皆様の顏を拝見することができ、シャイな又右衛門がドキドキでした。また春にお会いできますこと楽しみにしています。